私の頭には


男は女より強い

男は女を守るもの

男はたてるもの

という概念がベースにある



私の育った環境では

男は女より強かったが

その強さで女に暴力を奮っていた


男をたてるという配慮が

ただの傲慢さや圧力を生み

支配的な関係を作っていた


男の人に逆らってはいけない

男の人は怒らすと怖い

母からまずもらった概念だった


幼少の頃に本やテレビで

弱いものやヒロインを守る

ヒーローものを見たとき

私の世界が広がった


優しい男の人もいるんだ

男の人が笑ってる


幼稚園に入り小学生になり

関わる人が広がっていくにつれ


現実世界でも

今までもらった概念との違いに

驚きと戸惑いがおこった


子供だからこそ単純に

怖いより優しい方がいい

強いより楽しい方がいいと思った


だから

違うものへの強い憧れとともに

今までのものへの強い拒絶がおこった


でも

基本には正しいとされる教えが

無意識下に擦り込まれているから

新しい概念は受け入れられず


理想と現実

概念と思考

気持ちと感情

全てがバラバラでマッチしなくて


まして

親が間違ってるなんて思えないし

思ってはいけないと思うから


苦しい葛藤の日々が始まる


こんなのオカシイという疑念は

うちはうち

よそはよそ

の一言で片付けられた

 

そうして

自分の中で湧いた思考や感情を

(そんなふうに考える自分はオカシイ)

否定し続けていると


気づいたら

(大人になったときには)

立派な自己否定人間になっている


発端はほんのささいなこと


その考え方がベースになり

色んなことに対して

同じような概念での

ものの見方になっている


自分のお父さんとは違うお父さん


優しいお父さん

一緒に遊んでくれるお父さん

笑ってるお父さん

お母さんと仲良しのお父さん

話を聞いてくれるお父さん


あぁ、うらやましかったなぁぁぁ〜


子供だからついでちゃう

「〇〇ちゃんのお父さんは」

「〇〇みたいなお父さんがいい」

言っては怒られ、ひっぱたかれた


だんだん

怖いから言わなくなる

痛いから言えなくなる


涙とともに声を飲み込む


そのうち…

そんな風に思うことさえいけないと思う


反抗期にあって

大人に抵抗する先輩達を見たとき

大人と戦えるんだー、すごい!と思った


私もあんな風になりたいと思った

強くなったらお父さんと戦えるんじゃないかと

お父さんをやっつけて

お父さんを悔い改めさせられるのではと


そんな先輩達の真似して反抗したけど

怒鳴られれば足がすくみ

殴られれば痛くて怖かった


お父さんに勝てない私は

お父さんに勝てない私のまま

19歳で止まってしまった

父が他界してしまった


お父さんが生きているときは

お父さんより強そうな人が好きだった


お父さんがいなくなってからは

弱そうな人とばかり付き合った


最初は私がいないとダメなのね、

から始まり、だんだん

なんでそんなにダメなのよ

と相手を責める


なぜか


お父さんがいなくなって

もう戦わなくていいのに

お父さんとは違う

優しい楽しい人がいいのに


実際の私

男の人に守られるとか

男の人に甘えることに

ものすごい抵抗があって

できなくなっていた


そうしたいと思ってても

初めは頑張って

甘える女、頼る女を演じるんだけど

だんだんすごく違和感感じて

そうしている自分が気持ち悪くなる


なんでかなぁと

ひとつひとつ振り返ると

幼少の頃の父との関係に繋がっていく


父親のことが許せない

が原因だと思っていたけど

それはダミーだった


父親のことは今はもう許せてるし

彼のしたことは許せることではないけど

彼がどうしてそんなことしたのか

今は少し彼の気持ちが理解できる


それに

本当に幼い頃の私は

きっとお父さんのこと

大好きだったと思えるんだ


ダミーだったのは

お母さんへの怒りだった


私に「男の人に〜べき」を擦り込んだ母

私に嫌なことをさせた母


お父さんに謝りなさい

お父さんにお願いしなさい

お父さんに甘えなさい

お父さんの隣に座りなさい

お父さんの膝の上に行きなさい


私が泣いて嫌だ、したくないと言ったことを

そうしないと怒られるでしょ、

お父さんの機嫌が悪くなっちゃうから

とまるで諭すように

私が断れない言い方で

子供の私には優しい命令であり

母を守るためには

それしかないという強制でもあった

言うこと聞かないと

私もお母さんも叩かれる、から。


本当は怒ってたんだ、私。


お父さんに毎晩殴られている母が可哀想だった。

毎日、泣いてる母を守りたいと思った。


でも、嫌なことをさせる母に怒りがあった。

でも、お母さんは可哀想だから

被害者だから、私が怒るのは変だ。

私が怒ったらもっと可哀想だ。


その矛盾を母への怒りも

全部父親のせいにして

母への怒りを見えなくしてたから

父親が亡くなっても

父親のこと理解できるようになっても


私の中にはくすぶる怒りの炎が

癒やされずに消えることなく

ずっとずっとあったんだ


お母さんを守るために生きてきたんだー!

なんて言っていた自分がだよ

そのお母さんを許せないなんて思わなかった

想像もしたことなかった


(イヤイヤイヤ、そんなはずない、

 まぁちょっとは

 ムカついてるかもしれないけど)


見つけちゃったくすぶりを

必死に消そうとしたけど

違うと否定しようとしたけど


今の私じゃなくて

その時の私はどう思うのよって

ちゃんと向き合ってみると


すごく嫌だった

すごくお母さんに腹がたった

すごく悲しかった


そして命令を実行したときの私は


ものすごい張り裂けそうな心の抵抗感と

震えあがるような嫌悪感でいっぱいだった


一回きりでないその命令を遂行するためには

心が感じる激しいその感情を

なんでもない、なんでもないと

何も感じない、何も感じないと

気持ちを殺していくしかなかった


大人になった私が

男性に対して

度々感じる感覚と同じだった


この感覚は

心屋塾のマスターコースで

友達と宿題ワークをしていて

そう言えばって思い出すことができた





嫌な感覚だから思い出したくもなかった


宿題ワークの後

その思い出したことをノートに書き出して

さらに他にもないかって

どんどんどんどん掘り下げていったら

丸裸になったダミーに気づけた


最初の火種は

何十年もかけて

色んなものを被せて隠してるから

どれが本当の原因なのか

本当に分かりづらい


でも

面倒臭いけど

時間かかってるけど

ひとつひとつ

丁寧に向き合ってるおかげで

私は見つけることができている


見つけたらスッキリ?

しねーよ(笑)