子供👶がいない
いつの間にかこれは私にとって
すごいコンプレックスになっていた
29歳で結婚した時には
自分の同級生や
同年代の知り合いには
すでに子供がいて
集まれば子育ての話に事欠かなかった
私は分からないから
「へーそうなんだー」
「大変なんだねー」
しか言えなかった
幼稚園の申し込みがどーのとか
どこどこの病院がとか
学校でとか
具体的な話になると
ますます分からないから
相槌もうてなくなった
その場に子供が同席してれば
子供の相手をして間をつないだ
かと言って
子供の話をしないでほしい訳ではなく
話題変えるのもなんだかなーって
なんか対応に勝手に困って
どんどん居づらい気持ちになっていた
そうゆうことが続くと
なんとなく会うのも避けたくなり
仕事が忙しいとか言って
だんだん会わなくなっていた
会わなくなると
ますます知らないことが増えた
さらに話が噛み合わなくなって
悪循環だった
今思えばだけど
「どうせ私は会話に入れない」って
自らすねていたと思う
別に知らなくて当たり前だし
分からなくていーのに
知らないことが恥しいとか
会話に入れないことが寂しいとか
同じじゃないことに劣等感が生まれてた
そんな時、交通事故で
以前のように稼げなくなった
母親を守る任務を
(勝手に決めて)遂行していた私は
そんな自分が親に何ができるのか…と
もうこれしかないと思っていた
「結婚して安心させて孫を抱かせる」
だから、子供をもつことに
すごい執着してたのかもしれない
結婚前に子供のことを
すごくたくさん話した
確実に子供を持ちたかったから
彼は前妻との間に子供がなくて
それを自分の兄弟から事あるごとに
すごい責められていたから
すごく子供をほしがっていた
私達は同じ価値観だと思っていた
でも(今思えばだけど)
二人とも勘違いしていたのかもしれない
私も彼も二人の子供が欲しかった訳ではなく
親や兄弟に認めてもらうため
友達や世間の枠からはみ出さないため
自分自身の「ない」という
コンプレックスから解放されるために
「子供」が必要だったのかもしれない
セックスレスになって
どんどん年数が経過して
心は穏やかでなかったはずなのに
いざ数年ぶりに性行為に至ったとき
私の気持ちは拒絶していた
頭の中にあったのは
「マジで困る」「絶対ヤダ」
望んでいたことなのに
悩みが解消されて喜ぶべきことなのに
あれ、オカシイ
すごい、ムジュン
私、カッテナノ?
今の正直な気持ちは
不妊治療やその先まで
やらなくて良かったと思っている
それは私自身がまだまだ未熟だからだ
自分のことも受け入れられなくて
周りにどう思われるかばかり気にして
自分自身の不足を何かで補おうとして
誰かや何かと比べてそこに基準をおいて
その人1人1人やそのものの価値を
そのまま受け入れられなかった私が
親になっていたら…
だから、これはこれで良かったと思う
子供がいない
いいことでもなければ
悪いことでもない
嬉しいことでなければ
悲しいことでもない
いないっていう事実だけ
子供がいないことは〇〇なこと
これまで刷り込まれた常識や
どっかで仕入れた価値感で
自分で〇〇な意味をつけていただけ
意味をつけると
他と比べて問題化したり
価値を考えるようになる
確実なのは自分の気持ちだけ
大事なのは今自然に湧く気持ち
この先どころか
数秒先だって
自分がどう思うかなんて分からない
「欲しい」から「欲しくない」に
その反対もあるかもしれない
変わるかもしれない
人がどう思うかばかり考えて
自分の気持ちは無視して
「〜した方がいい」と頭で考え
考えが自分の気持ちだと思っていた
長年のコンプレックスだった
「子供」のことを
自分自身と向き合って
深く見つめていくうちに
自分の考えこそが
自分を苦しめていたと分かった
どっちでもいいっていう
フラットな状態が
一番心が安定するんだって気づいた
きっとそれは全てのことに通じるのかも
じゃあ
全部どっちでもいいにすればいいのね、
って全てをひとくくりにするんじゃなく
ひとつひとつ洗いだして
ひとつひとつ向き合って
ちゃんと嫌な思いも感じて
思い出したくないことも
考えたくないことも
そうしていくと
あ、ここでそう思ったんだーとか
ここで決めたんだーとか気づける
ひとつひとつ自分自身で
納得して終わらせることができる
その記憶を持っているのは自分だから
その心を持っているのは自分だから
始めるのも終わらせるのも
自分でしかできないんだ