振り返ると…
自分の30歳前後(あ、アラサーか)は、
すごく心が不安定になっていた時期だったと思う。

不安定だから、
自分の周りに起こる全ての物事に過敏に反応していたし、
安定とか安心を得るために必死だったように思う。

不安を消すために
安心する・安定するための事や人を見つけたら、
何とかして手に入れようとして、必死だった。
あの手この手を使って自分の思い描く通りに事が運ぶように、
全思考、全神経、全エネルギーを費やしたし、
手にしたらしたで、奪われまいと手離すまいと、
全思考、全神経、全エネルギーをフル稼働していた。

今思えばだけど、それって、
本当に疲れるよなぁ~
常に気が抜けないもんなぁ

なにしろ…全然たのしくないじゃんっ!

一見…
自分が望んでやっているようにみえるのだけど、
今、冷静にみると、それは違ったのかもと思える。

そこには、

「損したくない」
「傷つきたくない」
「惨めな思いをしたくない」
「バカにされたくない」やら
「~しなきゃならない」
「~するべき」やら
理由が満載だった。

で、それらの理由の全ては、
それまでの経験とか価値観から
「生きるために」必要だと思い込んでいたことだから、
そうしなければならないと正しいと疑いもしなかった。

でも、自分がやりたいと思ってやってないから、
少しのブレもミスも許せないし、
常に気を張っていなくてはならないし、
常に目を光らせてなくてはならない。

そうすると、本当に気が休まることもなく、
常にイライラしている感じになり、
周りの全てに対して疑心暗鬼になって、
どんどん心が疲弊していってしまった。

そうなってしまうと、
もういいイメージは湧いてこなくなってしまう。

そうやって、30歳を超えた頃に自ら背負った重荷。

色んな事が自分の中で大問題だったけど、
特に常に念頭にあったのは、

将来への金銭的な不安と
最低な人間だと思っている自己否定。

その心情は↓

自分で今までのように稼ぐのはもう無理
そうしたら、家は?母はどうなる?

こんな最低な女を愛してくれる人はいない
そしてこんな自分を誰にも知られたくない



もう自分は生きてる価値なんもないよな。
もう死ぬしかないかな。
死んで保険入れば、
お母さん、当面大丈夫かな。
あれ?
自分で死んだら保険おりないんだっけ?
それじゃ意味ないな。

なにかいい解決方法ないかな。



彼と結婚したら解決するかも。

今まで通りお金くれるってゆーし
私の秘密と彼の秘密は共通だし
お互い利害関係一致してるし



運命的な始まりではないけど、
普通の恋愛ではないけど
こうゆう結婚もあっていいのかも…

その当時の私の思考回路はこんな感じだった。

彼と一緒になれば、
私の不安や今ある問題は
ほぼ全て解消するんじゃないかと思った。

お金の心配もない

結婚することで母を安心させることもできる

子供ができたら、さらに親孝行もできる

秘密をひとりで隠して生きなくていい

隠すために神経使わなくていい

嘘に嘘を重ねて苦しい思いをしなくていい

周りに対して多少の嘘は必要だけど、
傷つけないための嘘だし悪くない

何より彼と私は利害関係が一致している

そうやって、
だんだん自分の都合のいいように
解釈し始めていた。

当時彼は既婚者だった。
彼の結婚生活は、
(彼曰くだけど)
私と出会う前から破綻していたし
彼は別れる決定的な理由を欲しがっていた

彼自身も当時の色んなしがらみから
逃げたかったのかもしれない

もしかしたら私を好きだと思い込むことで
私を金銭的に助けるという名目で
自分の行いを正当化しようとしたかったのかもしれない

とにかく私は迷っている時間はなかった

そうして自分に都合よく考え、
彼と一緒になろうと決めた時から、
私の頭の中は、べきだらけになっていった。


彼を愛してるならこうあるべき
私を愛してるならこうあるべき
愛し合ってるならこうあるべき

自分の素のふと湧いた感情ではなく、
自分理想を描いた感情や考えで、
思考を作り、日常を作っていた。

その多くは、
それまでに読んだ漫画や小説等の本、
映画やドラマ、人の話などに感化され、
憧れたセリフや行動やシーン、
そのシーンの主人公の考えや感情を
まるであたかも自分がその人になったかのように演じていた。

彼がその台本通りの反応をしないと、
泣いたり怒ったりして説得したり、
色んな手段を使って、
台本通りになるように言うように仕向け、
そうやって色んな他人の物語から引用した、
つぎはぎだらけの日常を
繋ぎ合わせて毎日を積み重ねてきた。

それはまるで、本当に女優が
役に成りきって演じるかのように
本当そう思って、そう感じて、
他人の人生を再現しているもんだから、
私の日々はドラマチックだった。
その都度、演じている自分に酔っていた。

もちろん、その時その瞬間は
演じてるなんて感覚は、毛頭頭にはない。
でも何か言う前、何かする前には
必ず、参考にしたシーンを思い浮かべ
シミュレーションを頭の中で何度もしていた。

本当の自分の感情や考えを見つめるとこもなかった。
そんなことあることも、考える暇もなかった。
自分が演じてる(真似してる)感覚もなかったし、
たまたま私もそれぞれの主人公と
同じ気持ちや、境遇を持ってるわと思っていた。

でも、
自分の感情や思考がまるでなかった訳ではないんだろう。
台本通り、迷いなくすすめてる割には、
時々、ものすごく感情の違和感を感じていた。
本当の本当はこんなこと望んでない、
っていうような抵抗感を感じることもあった。

なんでこんな胸のあたりが気持ち悪くて
ざわざわするんだろうって感じだった。

自分の本当の感情なんて発想がなかったから、
しっくりいかないときは、
選択したシーンを間違えたか
やり方を間違えたからと思っていた。

その違和感はだんだん年数経つごとに増えていった。
自分のやっていることと感情と、バラバラな感じがしていた。
違和感、抵抗感、葛藤がすごく気持ち悪かった。
もうひとり何かが自分の中にいるような感じだった。
それを私は、心の病気ではないかと思うようになった。

そんな感情が出てくるようになってから、
自己啓発の本や心理学の本を読み漁った。

どれも当てはまるような気がしたり、
どれも違うような気がしたり、

色んなカウンセリングに行ってみたり、
セミナーに行ってみたりしたけど、
しっくりこなかったし、良くなる兆しがなかった。

街のマッサージ(てもみんみたいな)と同じで、
施術を受けているときはいいけど、
翌日からまた元通り、
へたしたら、揉み返しでさらに悪化、
ということが続いていた。

人から言われてとかではなく、
自分で自分が変わりたい、変えたいと
心の底から思わないと意味がない。

自分自身とちゃんと向き合って
根本的な原因を見つけるために
そのために嫌なこと辛いこととも
目をそらさないで向き合うって

自ら本気で覚悟しなきゃ変われない

もっと言えば、

変わるというよりは、本来の自分に戻る

本来の自分とは
良いところもあるし悪いところもある
綺麗なところもあるし汚いところもある
素敵なところもあるし最低なところもある

全てを受け入れる覚悟、
全てを認める覚悟、
全てを愛する覚悟

去年末にようやく気付き
先月の心屋塾の上級ワークの後に
10年以上かかっちゃったけど、
やっと覚悟ができた。