【自分史・幼少期】働く母親の背中 | 40代ママ、心理学で人生変えました。

40代ママ、心理学で人生変えました。

心理学を活かして夫婦関係や親子関係を整え「自分らしく満たされた人生」にするための日々を綴っています。
自分が嫌いだった私が、心理学やコーチングで自分と人を大切できるようになった成長記録。

ご訪問ありがとうございます

 

ゆいま〜るです

 

2019年3月1日から、

生い立ちをストーリーブログとして

書き出し、

自分の棚卸しをしたいと思います。

 

自己紹介のようなものなので、

お読みいただければ嬉しいです。

 

 

【自分史・幼少期】おもしろくない関西人

からの続きです

 

私はユーモアの聖地である大阪生まれですが、

幼い頃に横浜に引っ越し、

核家族となり、

口数の少ない真面目な両親の元で育ちました。

 

そして、物心つく頃には

完全に無口な子供でした。

人とのコミュニケーションも苦手で、

どう人と接していいのかわからずに

過ごしていました。

 

横浜では両親と妹の4人暮らし。

父は夜中に帰宅する会社員、

母も医療系の仕事だったので、

どこに引っ越しても仕事をしていました。

 

母は70歳手前の今も働いているので、

本当に尊敬しています。

国家資格は働きたい女性にとっては

財産だと感じます。

 

妹は幼い頃、

病気の後遺症のようなものがあり、

発達が人よりも少しゆっくりでした。

 

妹の発達の様子や、

学校の勉強を見ている母は、

いつも一生懸命でした。


勉強を人並みにできるように

妹を教える母の真剣な姿は、


「なんとか出来るようになってほしい」


と切実に願い、

今よりも教育のサポートが少なかった時代に

孤軍奮闘していた様に感じます。


(だからこそ、私は今、母親支援や早期発達支援をしたいと思うようになりました。)


 

妹の幼少期は、母の思いに彩られていました。

また、母の子育ても、妹をケアしたり、心配する時間が多かったと思います。

 

妹は、母が恋しいと保育園では毎朝泣き、

甘えん坊で可愛らしい妹でした。

姉の私から見ても、ずるいくらいに可愛い(笑)

 

 

 

その分、

2歳年上で人並みに勉強はでき、

大きな問題のなかった姉の私は、、、

あまり存在感がなかったように

自覚しています。

 

母の24時間は、

仕事と睡眠時間以外は、

掃除、洗濯、炊事、

土日は妹に勉強を教えることに力を費やし、

 

母自体が休む余裕や、

私の話を聞く余裕は

あまりありませんでした。

 

母に甘えたい・・・・

と思いながら、

どうしていいのか

甘え方すらわからない・・

 

でも、せっかくの大阪生まれですから

その環境下でもっと長い間生活し、

ユーモアを吸収していたら、

母が笑ってくれるような

面白いことを言えたんじゃないかな〜

なんて考えたりもします(笑)

 

ユーモアのセンスのある環境で育つ。

そのコミュニケーションツールを手にいれる。

それだけで、人生が豊かになるような気もします。

 

今、私は2人の子育て中ですが、

やっぱり優先順位は

「人並みに考え、行動できること」

が上位にきます。

学校の勉強や習い事、

人を傷つけないこと、

忘れ物などせず学校生活を継続すること・・・など、

 

気にかけ、促し、

最後には注意しつつ・・

 

いつまでも行動が伴わない時は、

最後は怒ったりもします。

 

でも、

どんなに短い時間でもいいので、

子供を笑わせることも意識しています。

 

人は笑い合うと互いに癒される。

 

それを子育てを通して、

自分の生活の中で必要時間に組み込んで

自分と子供達を癒しています。



どんなコミュニケーションをするかは

人生においてとても大切です。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございます

 

【自分史・幼少期】ジャイアンが顔を出す時

明日へと続きます