わたしは、「もっと」という言葉が苦手だ。
その言葉を聞くと、心が重くなり、締め付けられるように感じる。
いつからだろう…
10代は、もっともっと頑張って
20代は、もっともっとが全て空回りし
30代で、もっともっとの動機では動けなくなってしまった。
そして、いま。
「もっと」という言葉に心がきゅうっとするのは…
相変わらず“頑張ることがよい”というラベルを持ち運び
頑張れていないわたしに罪悪感があるからなのでしょう。
もっともっともっともっと…
もう、疲れてしまったんだと思う。
子供の頃から無自覚のまま競争のレースに乗せられて
人よりもっともっと…って、ずっと競争してきた。
競争に疲れてしまった。
ねぇ、
わたし、今のままではダメですか…
*
私たちは、この地球のどこを探しても
自分と同じ人間をみつけることはできない。
「わたし」とは
唯一無二の存在
唯一無二の体験
生きて、そこに体験がうまれている。
どんな体験であれ、「わたし」を通して唯一無二の体験が生まれている。
誰とも比べようのない、全てが一度きりの顕れ。
もし「価値」というものが存在するのであれば、
それは、「わたし」という唯一無二の存在が、
「生きて体験をする」ということに尽きるのではないか。
本当は、もう、それだけで
十分価値のあることなのではないだろうか。
体験の内容に捕らわれすぎて、
本来のホンモノの価値を見落としているのではないだろうか。
*
あなたがいることで
唯一無二の体験が、初めて生まれている。
あなたがいて、体験が、ある。
あなたがいてくれて、初めて体験がある。
かけがえのない、あなた。
かけがえのない、わたし。
いてくれて、ありがとう。