わたしは、「もっと」という言葉が苦手だ。
その言葉を聞くと、心が重くなり、締め付けられるように感じる。

いつからだろう…

10代は、もっともっと頑張って
20代は、もっともっとが全て空回りし
30代で、もっともっとの動機では動けなくなってしまった。

 

そして、いま。
「もっと」という言葉に心がきゅうっとするのは…
相変わらず“頑張ることがよい”というラベルを持ち運び
頑張れていないわたしに罪悪感があるからなのでしょう。

もっともっともっともっと…

もう、疲れてしまったんだと思う。
子供の頃から無自覚のまま競争のレースに乗せられて
人よりもっともっと…って、ずっと競争してきた。

競争に疲れてしまった。

ねぇ、
わたし、今のままではダメですか…





私たちは、この地球のどこを探しても
自分と同じ人間をみつけることはできない。

「わたし」とは

唯一無二の存在
唯一無二の体験

生きて、そこに体験がうまれている。

どんな体験であれ、「わたし」を通して唯一無二の体験が生まれている。

誰とも比べようのない、全てが一度きりの顕れ。

もし「価値」というものが存在するのであれば、
それは、「わたし」という唯一無二の存在が、
「生きて体験をする」ということに尽きるのではないか。

本当は、もう、それだけで
十分価値のあることなのではないだろうか。

体験の内容に捕らわれすぎて、
本来のホンモノの価値を見落としているのではないだろうか。





あなたがいることで
唯一無二の体験が、初めて生まれている。

あなたがいて、体験が、ある。

あなたがいてくれて、初めて体験がある。

かけがえのない、あなた。
かけがえのない、わたし。

いてくれて、ありがとう。