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アメリカンオークスをシーザリオが制した。これは単に日本の馬が本場アメリカのG1を制したというだけではなく、日本生まれのスペシャルウィークの産駒が勝ったことに大変な価値がある。スペシャルウィークは父が*サンデーサイレンスではあるが、その母系は日本に戦前から100年近く根付くフローリスカップ系であり、その勝利は日本の血統でも世界に充分通用することを証明したといってもいいだろう。ということで今回はシーザリオの父スペシャルウィークの4代母となるシラオキを取り上げてみたいと思います。

シラオキの父*プリメロは愛ダービーと愛セントレジャーの勝ち馬で、1934年に小岩井農場によって英国から輸入された。当時輸入された種牡馬の中でもピカイチの実績の持ち主である。種牡馬としてもトサミドリやトキツカゼなどを出して大成功を収めているが、クラシック通算15勝というのは*サンデーサイレンスに破られるまでの歴代最多記録でもある。一方母系の方は先に紹介したフローリスカップ系で、その大元となる*フローリスカップは1907年に小岩井農場が輸入した有名な20頭の基礎牝馬の一頭である。シラオキの系統以外からもダービー馬ミナミノホマレや名牝ガーネットなど多くの活躍馬を送り出した名牝系、母第弐スターカップの父はライバルであった下総御料牧場の*ダイオライトではあるが、*インターグリオー、*シアンモアなど小岩井の名種牡馬を代々重ねられたシラオキは、名門小岩井農場の血の結晶とも言える血統である。

シラオキは、1948年にデビュー。同期には同じ*プリメロ産駒の名馬トサミドリなどもいた。デビュー戦を勝ちながらその後は惜敗を続け、皐月賞の4日前にようやく2勝目をあげる。当然皐月賞では人気もなかったが、トサミドリの5着と好走した。更に続く4歳牝馬特別を2着して挑んだダービーでは、断然人気のトサミドリが惨敗し、単勝5万5430円19番人気のタチカゼが優勝するという歴史的な大波乱の中で2着と激走している。その後も5歳秋まで走ったシラオキは48戦して通算9勝をあげる活躍を見せた。特に5歳時には引退する9月までに19戦をこなしており、タフな活躍ぶりだった。

このシラオキがダービーで2着した1949年、生まれ故郷である小岩井農場が、GHQの財閥解体命令によりサラブレッドの生産を休止することとなった。シラオキは引退後に浦河の鎌田牧場で繁殖入りすることとなる。繁殖牝馬としてもシラオキは偉大な名馬を輩出した。名伯楽武田文吾調教師の名言「コダマはカミソリの切れ味ならシンザンはナタの切れ味」でもお馴染みのコダマである。当時戦後からの復興を果たしつつあった日本にとって、新幹線事業はまさに復興のシンボルであった。新幹線開業に先立ってデビューしたコダマは、デビューから無傷の7連勝でクラシック二冠を制覇している。残念ながら体調を崩して三冠こそならなかったものの、当時の人々を大いに熱狂させたそうだ。時代背景を考えると、今年同じく無敗で二冠を制したディープインパクト以上の熱狂だったのかもしれない。

シラオキは他にも皐月賞馬シンツバメを出した他、後継牝馬にも恵まれ、ワカシラオキが幻の最強馬ヒデハヤテの母となり、その子孫から桜花賞馬シスタートウショウなど多くの活躍馬を出している。名種牡馬*ヒンドスタンとの間に生まれたミスアシヤガワは30戦2勝の成績で繁殖入り。直仔からは特に目立った産駒は出ていないが、この馬に目をつけたのが日高大洋牧場だった。牡馬が生まれたら鎌田牧場に、牝馬が生まれたら日高大洋牧場が買い取るという条件で*セントクレスピンの種付けを無償提供したということらしい。こうして生まれたレディーシラオキは58戦4勝の成績をあげて日高大洋牧場にやって来た。レディーシラオキも繁殖成績は振るわなかったが、マルゼンスキーとの間に生まれた不出走のキャンペンガールがスペシャルウィークの母となることになる。

スペシャルウィークはダービーを圧勝し、名手武豊騎手に初のダービー制覇をプレゼントするなど大活躍。同期の*エルコンドルパサー、*グラスワンダー、セイウンスカイらとのハイレベルな戦いを繰り広げた。しかし、スペシャルウィークがダービーを制した1998年の12月に生まれ故郷の日高大洋牧場で火事があり、姉のオースミキャンディを含む20頭近くの繁殖牝馬が焼死するという悲劇に見舞われる。母のキャンペンガールもスペシャルウィークを出産後に僅か5頭の産駒を残して死亡。もう一頭の姉リネンタイヨーも産駒を残さずに既に死亡しているようで、残念ながらキャンペンガールはその牝系を後世に残すことはなくなった。しかし、スペシャルウィークを経てその優秀な血は残っていくことであろう。