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競馬競馬競馬!!

競馬で生計を立てることができればこれ本望

かつて、日本を競馬で沸かせた時代がありました。
最近では、1980年代後半から1990年代初頭の、オグリキャップを中心とした第二次競馬ブームです。
バブル好景気という世相もあって、当時の競馬ブームはそれはそれは凄い物であったと言われています。
しかし、私たちの世代では当時にはまだ生まれたばかりで、その空気を知らないので、どのように凄いのか完全に理解することは出来ません。
さらにそれ以前の第一次競馬ブームとも言うべき時代であれば、なおさらのことです。
現在の中年層は、当時ちょうどブームの真っ盛りであり、オグリキャップを生で応援していたという人も多いかもしれませんが、その一つ前のブーム、ハイセイコーという馬がもたらした第一次競馬ブームについてはどの程度ご存じでしょうか。


第一次競馬ブームは、1973年に起こりました。
主役となったのはハイセイコーという競走馬で、国民的アイドルホースとして日本中を沸かせていました。
ハイセイコーは、1972年7月に大井競馬場で初出走し、騎手による追い込みもないままに従来のレコードを0.9秒も縮め、2着馬に8馬身差という超大差をつける圧倒的な走りを見せました。
2戦目以降も全て2着馬に7馬身差以上をつける走りを見せて6連勝、地方競馬では無敵となっていました。

1970年代の競馬界は、「中央は中央、地方は地方」とハッキリと区別されており、野球で言うところのプロ野球とアマチュア野球のような区別がありました。
しかし、あまりの強さ故にその垣根を越えて中央競馬会へ移籍するということになり、1973年ハイセイコー4歳の時に中央競馬へと移籍します。


中央競馬デビュー戦である中山競馬場で行われた弥生賞では、12万3000人の観客が詰めかけ、後ろから押された観客が金網を越えてコースに緊急避難してくるほどだったと言われています。
その期待に応えるようにレースでは1着で勝利するものの、地方時代に見せた強さは鳴りを潜め、5月の東京優駿において3着となったことでマスコミはこぞってハイセイコーの不敗神話の崩壊などを記事としました。
しかし、それによって人気が落ちるどころか、地方の期待の星という競馬ファンの評価は変わらず、さらに人気を高めていきました。


その後翌年3月の中山記念まで、有馬や菊花賞などを走るも勝利することは出来ず、中山記念の次のレースである天皇賞(春)では6着と大敗するものの、次レースの宝塚記念では2着に5馬身差をつけるレコード記録で大勝しています。
この時連敗が続き、決定的となった天皇賞での大敗によってハイセイコー人気は終わったかに見えましたが、この勝利によって再びハイセイコーの人気に火が付き、この年の有馬記念で前年に続きファン投票1位での選出されました。
引退レースとなった有馬記念では有終の美を飾ることは出来ませんでしたが、それでもライバルであったタケホープやタニノチカラと戦い、2着という結果でした。


種牡馬としては超一流というまではいかなくても、それでもG1馬や重賞馬、地方馬まで様々な馬を生み出す優れた種牡馬であったと記録されています。
2000年にハイセイコーはこの世を去りましたが、その姿は中山競馬場・大井競馬場、道の駅サラブレッドロード新冠にて銅像で見ることが出来ます。


ハイセイコーとオグリキャップ、どちらも「地方出身の才気溢れる馬が、中央競馬という大舞台で活躍する」という構図で人気が出ています。
ハイセイコー時代は、日本の高度経済成長が止まり社会に閉塞感が出ていた時代で、オグリキャップの時はその真逆でバブル景気に浮かれていた時代でした。


現代社会においても数字上景気回復傾向があるとはいえ、まだまだ現場では閉塞感が漂っていることは否めません。
果たしてこういった空気の中から、第三次となる競馬ブームを呼び込むようなアイドルホースが誕生するのかどうか、見守っていきたいと思います。