時代の風:サマータイム制は論外=東京大教授・坂村健 | 向かい風から全力で逃げる。

時代の風:サマータイム制は論外=東京大教授・坂村健

無意味な超過労働をも生む悪法。
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 ◇科学的教養、必要な時代

 限られた資源をどう配分するか--すべての人の要求を満たせない以上、あれもこれもは不可能。だから厳しくても優先順位を決め、より多くの同意を得ながら事を進めていくというのが本来の「政治」の役割だ。しかし、同時に民主主義国家においては、権利と義務はセット。今回の電力問題のように技術や科学がからむ資源配分の問題では、有権者の側にもその問題を理解する努力が求められる。

 まず理解しないといけないのは、電力網というシステムが、不断の努力でバランスを取っている「動的平衡系」だということだ。電力の需要と供給は常にある幅の中でバランスをとっていなければならない。多すぎても少なすぎても破綻する。本格的な理解をするには電気工学の高度な知識が必要となるが、近いアナロジーとしては「手すりのないシーソー」がいいだろう。

 シーソーの一方が需要側。何千万もの利用者がスイッチをオン・オフするたび、バラバラの重さの荷物(負荷)--そのほとんどはたいした重さではないが、とにかく数が多い--が載せられたり下ろされたりしている。もう一方の供給側では、電力会社が需要側を監視しながら変動を予測し、ちょうど釣り合うように分銅を載せたり下ろしたりしている。問題は、分銅の載せ下ろしがそんなに素早くは行えないということだ。

 手持ちの分銅の合計(総電力供給量)を超える荷物が載れば、どんなに頑張ってもシーソーは傾き、荷物は転がり落ちる。しかし総量の範囲であっても供給側が対応できないほど急に重さが変わればシーソーは傾いてしまう。

 どちらに傾いてもそこに載っていたものが滑り落ち、そうなれば、今度は逆に傾き反対側も落ちてしまう。実は送電網というのは配電所・変電所・発電所でできている巨大なネットワーク。それぞれの施設が一つのシーソーで、それがまとまって大きなシーソーに載り--というのが繰り返されて、送電網という巨大なシーソーになっている。

 どこかの配電所でバランスを取るのに失敗すると一つのシーソーが崩壊する。すると今度はそれが載っていたシーソーのバランスが崩れる--というようにして連鎖反応的に大崩壊に至る。

 こう理解すると「計画停電」の「計画」も、「供給側にとって計画的」--つまり「予期せぬ停電でない」という意味に比重があることがわかる。「やらないなら計画でない」という批判もあったが、その意味では的外れだ。


 では、そういう理解で夏場に向かって何をすればいいのだろう。本質的に重要なのは、ピーク需要が総電力供給量を超えないようにすることだが、それだけでなくピークというもの自体をできるだけなだらかにして--山を削って平地にするような方策が望ましい。余裕の無いシステムではバランスを取るのがより難しくなっているからだ。

 そういう意味で、始業時間をビルや工場単位で分散するのはそれなりに効果的だろう。始業時にあわせ電車やエレベーターが動き、空調を含む多くの設備が始動時に大きな電力を必要とするからだ。休日分散も効果的だ。大きな工場に夜間操業してもらえれば、大きな余裕が生まれる。それらの民間の分散インセンティブを生むために、電力料金を需要に応じて上げるという誘導的政策も有効だろう。

 また長期的には電力網のスマートグリッド化はぜひ必要だ。これによりネットワーク化した電力メーターによる需要に応じた課金変更や、精度の高い需要予測、利用者に対する見える化、家庭や事業所の空調などの負荷側設備や分散発電・蓄電などの供給側設備の、供給側からの「計画的」制御など、巨大シーソーをより安定化するさまざまな方策が技術的に可能になる。

 しかし気になるのはこれら「この国難にあたり、やれる方策は何でも」という中に、サマータイム制導入のような愚策も混入していることだ。

 一律時計を進めるようなサマータイム制は多くの人も指摘しているようにピークを崩さずそのままズラすだけ。そもそも「電力需要のピークを生むのは真昼の空調」という現代では、太陽の出ている時間に社会活動量を増やすことが本質的目的のサマータイムは省エネどころか増エネ要因になる。なにより時計をいじるというのは意図的に「コンピューター2000年問題」を引き起こすようなもの。当時「コンピューターが狂って原子炉が大爆発」などとあおっていた「識者」がいたことを思えば、いまの状況でサマータイムを言い出すのは悪い冗談としか思えない。

 しかもサマータイムは特にそうだが、なぜか他のことでは信頼できる人が変にハマっていたりする。欧米留学時の夏の日へのノスタルジーなのか、一回言い出して引けなくなったのか--事ほど左様に人間である以上完璧な個人はありえない。だからこそ、衆知を集めるというのが民主主義の基本コンセプトとなった。

 できるだけ多くの人が、他人任せにせず自分の頭で科学的理解のもとに判断すること--民主主義国家の一員としてその義務が今こそ日本国民に求められているのである。=毎週日曜日に掲載

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珍しく?バッサリ言わせて頂きますが。
サマータイム制は節電には無意味。活動時間が長くなるだけ。
企業間で上手く調整して、勤務時間をずらすことに努力して欲しいところです。