神との対話もくり返し読むことで

また新しい気づきを得られます

 

7回目の繰読からの気づきを

綴ります。

 

『じつは、悪というものはなく

ただ客観的な現象と

経験があるだけだ

 

しかし、人生の目的からして

あなたは増える一方の

現象の中から

 

悪と呼ぶ現象を選び出さなければ

ならなくなる

 

そうしないとあなたは自分自身も

ほかのことも善と呼ぶことができず

 

自分自身を知って創造することが

できないからである

 

あなたは何を悪と呼び

何を善と呼ぶかで自分自分を

定義する

 

最大の悪は

どんなものも悪ではないと

宣言することである

 

この現実世界(幻想の世界)

相対性の世界でもあり

 

一方を定義・体験することで

もう一方をより深く体験

できるのです

 

だから

善悪を判断すること自体は

必要な体験をするために

必要な判断なのです

 

(「悪」と判断して

初めて「何が善なのか」が

分かるのです)

 

ただ

出来事の善悪の判断をするのは

個人であり、それは主観なのです

 

主観だから同じ出来事でも

違う善悪の判断となるのです

 

だから、違う判断をした他人を

非難するのではなく

 

「違う判断が自分を明確する」

というスタンスで

(みんな同じ判断では

自分を明示できません)

 

「なぜそう思うか」

という側面(違う視点)を

探ることが大切なのですね

 

出来事には「善悪」はない

なぜなら

「善悪」は主観だから

 

ただ、「善悪」の表明は、

自分=他人を定義づけこと

になり、

 

定義づけた自分を

体験するためには

必要な判断なのです

 

大切なのは

「違う判断をする人」が

いたとしても

 

その他人を批判する

のではなく

 

「なぜそう思うのか?」

という違う側面を

考えることなのです

 

「同じ」ではなく「違い」が

大切なのです

 

 

 

 

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「どうし」が つどう そら(時空)

「同志」=同じ志し

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