神との対話もくり返し読むことで

また新しい気づきを得られます。

 

7回目の繰読からの気づきを

綴ります。

 

今回は

こちらの世界とあちらの世界の

 

行き来について

解りやすい表現が

みつかりましたので

 

「神に帰る」へ戻ります

 

思い出すこと その5

 

死は決して悲劇ではない

死は常に贈り物である

 

物理的なこの世界

 

既成概念

固定観念

 

からでは中々考えられない

フレーズです

 

これは、死=終わり

 

という観念が

あるからだと思います

 

ただ、別の観かたをすれば

 

もし

1000年、一万年

生きれるとしたら

 

そして

仮に自分が選べる

年齢だとしても

 

一万年生きるのは

生き地獄になるのでは

ないでしょうか?

 

そう考えると死は贈り物に

見えなくはないとも取れます

 

「死も必要」なのかとも、、、

 

個人的には

死は個部屋のドアを開けて

 

今の部屋から出で

大広間に入ることだと思います

 

大広間には、沢山の人がいる

亡くなった親や友人、知人など

 

そこで

各部屋で体験したことを

分かち合う

 

分かち合いより知ったことを

リアル体験するために

 

別の個部屋の扉を開ける

 

「行ってくるわ!」

と手を振って

 

ただ

個部屋に入った瞬間

 

その部屋に入った意味合いを

忘れてしまいますが・・・

 

大広間から見れば

個部屋に入るのは「死」

 

個部屋から見れば「誕生」 

ただ表裏なだけ

 

死も必要

 

そして死は誕生の裏返し

なのであれば

 

新しい体験する

素晴らしい贈り物

なのではないでしょうか?

 

 

 

 

「手愛手」

 

「どうし」が つどう そら(時空)

「同志」=同じ志し

「同師」=同じ師の基で

「同仕」=同じように使える

 

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