先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。

一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。

裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。

この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。

その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

 

※この記事、神との対話①第一章詳細解説記事を創るきっかけはこちら

 

 

P56

『霊の子供たちに、彼らがわたしの一部であることを知らせる方法がひとつある。単純にそう告げることだ。わたしはそうした。だが、わかるだろうが、神、あるいは神の一部、神の子、王国の継承者(その他、神話ではさまざまな言い方をしているが、どれでもいい)とただ知らされても、彼らは、満足はできなかった。

すでに説明したように、何かを知ることと体験することとはべつのものだ。』

 

自転車に慣れない人はいないと言われても、実際に自転車に乗れるまでは誰しも疑心暗鬼です。

実際に乗れて初めて言われたことを信じることができるのです。それは体験からしか得られないのです。

 

『霊の子供たちは自らを体験的に知りたがった(わたしがそうだったように!)。知識として知るだけでは、霊の子供、あなたがたにはものたらなかった。そこで、わたしは計画をたてた。宇宙のすべてのなかでも、とりわけ思いきった計画だ。そして、すばらしい共同行為だ。共同行為と言ったのは、あなたがたもわたしに協力するからだ。』

 

一人では違うという体験が出来ないから、共同行為になるのですね

 

7月11日更新