先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう
※この記事、神との対話①第一章詳細解説記事を創るきっかけはこちら
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『霊の子供たちに、彼らがわたしの一部であることを知らせる方法がひとつある。単純にそう告げることだ。わたしはそうした。だが、わかるだろうが、神、あるいは神の一部、神の子、王国の継承者(その他、神話ではさまざまな言い方をしているが、どれでもいい)とただ知らされても、彼らは、満足はできなかった。
すでに説明したように、何かを知ることと体験することとはべつのものだ。』
自転車に慣れない人はいないと言われても、実際に自転車に乗れるまでは誰しも疑心暗鬼です。
実際に乗れて初めて言われたことを信じることができるのです。それは体験からしか得られないのです。
『霊の子供たちは自らを体験的に知りたがった(わたしがそうだったように!)。知識として知るだけでは、霊の子供、あなたがたにはものたらなかった。そこで、わたしは計画をたてた。宇宙のすべてのなかでも、とりわけ思いきった計画だ。そして、すばらしい共同行為だ。共同行為と言ったのは、あなたがたもわたしに協力するからだ。』
一人では違うという体験が出来ないから、共同行為になるのですね
7月11日更新