先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう
※この記事、神との対話①第一章詳細解説記事を創るきっかけはこちら
p.43
『不安を秘めた愛という現実が、あなたがたの愛の経験を支配している。愛の経験を創り出していると言ってもいい。なぜなら、あなたがたは条件つきで愛されるだけでなく、自分も同じように、相手を条件つきで愛していることに気づくからだ。そして、相手から退いたり、自分の中に引きこもったり、条件をつけたりしながらも、ほんとうの愛はそんなものではないとどこかで感じている。だが、自分には愛し方を変える力はないと思う。つらい思いをして愛し方を学んだのに、また無防備になったらきっとひどい目にあうと思う。ほんとうは、愛し方を変えないほうがひどい目にあうのだ。』
愛に条件を付けてしまうことは否定できないですよね。
条件を付けず、本当の自分をさらけ出した時に
「もし、ひどい目にあったら」
という不安から本当の自分、無防備な自分を守るために、人は条件を付けてしまうです。
『愛について(間違った)考え方をしているから、あなたがたは純粋な愛を体験できない。それに、真のわたしを知ることもできない。だが、それも、いつかは終わる。なぜなら、永遠にわたしを否定しつづけることはできず、やがては和解の時が訪れるからだ。』
この和解の「刻」が地球にもまもなく訪れるのではないでしょうか?
愛ある行動が過去より増えていると感じます。
よく「昔は良かった」という人がいますが、それは今の自分を、世界を、受け入れることができないことの裏返しではないでしょうか?(自分がこんな世界を創ってしまった。という現実を)
本当に「昔が良かった」ら、神はこの世界をリセットしているはずです。
まだこの世界が存在するならば、和解との「刻」がくるのは間違いないでしょう。
いくらでも良くなる余地(現在の状況)はあるはずです。
待つのではなく、良くなる余地を少なくする行動を取るようにしたいものです。
『人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしている。人間関係だけではない。ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の社会問題、社会の経済的目標、戦争や平和、襲撃、防衛、攻撃、降伏に影響を及ぼす決断、自由な選択のすべてが、存在しうるただ二つの考えから発している。愛という考えが、不安という考えから。
不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。愛は広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分け合い、癒すエネルギーである。
不安だから身体を衣服で包むのであって、愛があれば裸で立つことができる。不安があるから、もっているもののすべてにしがみつき、かじりつくが、愛があれば、もっているすべてを与えることができる。不安はしっかりと抱え込み、愛は優しく抱きとる。不安はつかみ、愛は解放する。不安はいらだたせ、愛はなだめる。不安は攻撃し、愛は育む。』
不安は攻撃
攻撃の根本が「不安」から根ざしているものとは、
過去の固定観念からはちょっと考えにくいかと思います。
これを真の意味で理解するには、体験するしかないと思います。
そのようなちょっぴり切ない体験を私もしています。
驚くことにその時は、自分を守るために攻撃をしている感覚はあるものの、「ちょっとだけで、大したことではない」と思っているのです。
相手が深く傷ついていてもその深さに気づかないのです。
いま考えると、それは自分を認めてくれない「不安」から来ていたものです。
(相手より認めてもらえないという攻撃を受けていると取ってしまう場合もあるのです。)
あなたの周りに人を傷つけている人がいればその人は、「不安」からその行動をおこしていることや、攻撃度合いには気づけていないのです。
人は神の一部であり、愛の一部でもあるので、
「不安」からの行動している
相手を傷つけている行動をしている
と気づけば本来は攻撃はしないのです。
経験をした今だから言えますが、傷つけられている時に「相手は気づいていない」ということを受け入れるは出来ないのが普通でしょう。
受け入れることは難しいのとしても、知っておくだけで対応はかなり違ってくるとおもいますよ。
7月11日更新