先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づき
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
つまりこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
※この記事、神との対話①第一章詳細解説記事を創るきっかけはこちら
p.36
『あなたの生き方はあなたの生き方であって、わたしはそれを、良いだの悪いだのと判断したりしない。そのことで、あなたは大きな幻想をいだいている。あなたの行動に、神が関心を寄せていると思っている。あなたが何をしようが、わたしには関心がない。そう聞くとつらいかもしれない。
だが、遊びに出た子どもたちが何をするかに、あなたは興味があるだろうか。子供たちが鬼ごっこをするか、かくれんぼをするか、ままごと遊びをするかと気にするだろうか。気にしないはずだ。なぜなら、子供たちが安全だと言うことを知っているから。安心で楽しく遊べる環境に子供たちを置いているから。』
すぐには信用できないかもしれましが、この宇宙は安全な場所なのです。
なぜなら、神が自分を体験するために創った世界なのですから。
自分が体験する場所に危険な場所は作りませんよね?
もちろんスリリングな場所は作るかもしれませんが・・・
その安全な場所でどんな遊びをしようと基本的に関与はしないということです。
心配はするかも知れないが、自由を奪う関与はしないのです。
「宇宙は神が創った安全な世界」
これも神との対話を読み進めていくと理解ができると思います。
『もちろん、子供たちがけがをしないようにとは思っているだろう。もしけがをしたら、助けに行き、傷をなおしてやり、安心させてやり、幸せにしてやり、翌日はまた遊びにけるようにしてやるだろう。それでも、子供たちが翌日、かくれんぼをしようと、ままごと遊びをしようと、どうでもいいはずだ。
もちろん、危険な遊びは教えておくだろう。だが、子供たちが危ない遊びをするのを止めることはできない。いつも、いつまでも、死ぬまで危険からまもってやることはできないのだ。賢い親ならそれを承知している。だが、結果についての親の心配は決して消えない。』
「可愛い子には旅をさせよ」ということです。
過保護では本当の体験は出来ないのです。
それではこの物理的な世界に生まれてきた意味がありません。
すべて自己責任で、自由に選択させ、リアルな体験が魂の進化に必要なのです。
自己責任の世界を子供に(人類)自覚させるのは容易ではありません。
でも神はいま、人類に自己責任を自覚させようとしているのです。
人類がそろそろ自覚できるレベルまでに成長してきていると感じているからではないでしょうか?
7月11日更新