GW、明けましたね。


連休後半戦は 家で

賞味期限キレのカップラーメン イカ増量を啜ったり 

賞味期限当日のカップラーメン 謎肉増量を啜ったり

して

ひっそり質素に 過ごした

ババーですニコニコ


 

上段に あらすじ 


下段に

個人的な感想を

ネタバレ気にせず、配慮なし で

書いてます。


ネタバレが お嫌な方

下段は、お読みになりませんように🙇




占いを信じていない占い師であり

違法賭博のディーラーでもある男が、主人公。




ある組織の依頼により

男は正体を隠し、奇妙な資産家の専属占い師となる。


だが、その資産家は

自分を騙す者…歴代雇ってきたが、当てる力のなかった占い師たち…を

殺害するような男だった。



交錯する様々な思惑。

降りかかる理不尽の中


窮地の先に、男を待っていたものとは。


 




うーん。全体的に、重いです。


あと

ハッキリ言うと、個人的には

小説本編よりも




ストーリーの間に挟まれた


錬金術師 や

魔女狩り に関する手記 の内容のほうが


遥かに興味深く

強烈に印象に残ったし


考えさせられた。




小説を盛り上げる小道具として登場したであろう

手記…エピソード なのに


小説本編を喰っちゃってる ように感じた。


その証拠に(?)本編そのものについては

そこまで深く、考えを巡らせられない。






〜 以下、今回は長くなりました。

あと、残酷表現もあるので ⚠ です。


お暇なときに

お気が向いたら

 お暇潰しとして、どうぞ 〜

↓↓↓







幼少期を、幸福とは言えない境遇で過ごした

二人の男性が軸になっているストーリー。






一人は、占いを信じてない占い師であり

違法賭博のディーラーでもある男性。

児童養護施設で育ったらしい。


普段はタロットカードでの占いを生業にしているが


顧客の性格や、その時々の表情や雰囲気によって

出たカードの意味は無視して、まったく違う

心理的にプラスに働きかけるようなアドバイスをする。


自分がやっているこれは、占いではない と

どこか、自分でも思っている。


観察眼と、心理的知識に基づいた

分析によるものであって


未来を予知したり、変えたりするような

不思議な力ではない。と。







もう一人は、人殺しのハードルが低い 資産家の男性。


これまでも、何人も占い師を雇っていて

当たらない=偽物だ と判断すれば

躊躇なく ころしてきた。



はっきりとは描かれないが、幸福とはいえない状況の幼少期を過ごし


世の中の見え方が…

カタチと色がズレていたりして


乖離気味?

とにかく、居心地が悪い。




そんな中、子供だった彼は

ユリ・ゲラーの超能力ブームに行き合う。


自分の身の上に起きる 不条理は

この、不思議な力をもってして解明できるのでさないか と感じる。



少し成長して


若い頃の男は、まだ

少ないながら、気持ちを寄せることができる友や

恋人を持つことが出来ていた。



しかし

二つの大きな震災(阪神・淡路大震災 / 東日本大震災)で

男は二度にわたって

愛した女性を喪った。



占いは、愛するものに降りかかる死も

その時期も

回避する術も


何も教えてはくれなかった。




資産家の男は

だかそれは、"偽物" だったからだ


この世のどこかに

"本物" が在るはずだ と、考える。



"本物" は、科学とも共通するはずで

それ は、確かな "力" であるはずなのだ と。


なぜなら、科学実験の中には

超常現象ともとれる、不思議な結果を示すものもあるから。






占い師と、資産家の 二人の男は


内面が少し、似ているように思う。





自分の内の

何か

人間として大事な部分の欠落を感じながら


それでもなお、その何か を信じて生きたい(のだろう)




だから

この世の超常現象、オカルト、占い…そういったものに引き寄せられる。



それらの力で


不条理や

自分の欠落部分に


説明をつけたい。




そして もしかしたら

それらの  "不思議な力" が

この世の "不条理" を覆す力を持っているかもしれない と思って。





資産家の男のほうが

その思いが顕著で


答えを探すかのように

中世ヨーロッパで行われた 錬金術 や

魔女狩り に関しての手記を 収集している。





《錬金術についての手記》

中世ヨーロッパの、貧しい貴族に雇われていた 錬金術師についての記録。



膨大な書物を読み

ああでもない、こうでもない と理屈をこねて


金属と 何か を混ぜたものを 

日々、煮込み続ける


若くはない錬金術師。



彼は、高潔な精神の持ち主でなければ

"金" を生成できない と断言し

世の中の真理を知っているような顔をして


いわゆる、聖人然としていた。




しかし

ある日訪れた街で見かけた


裕福な者が主催する、残酷な見せ物

ーーー盲目の人、十数人に 盾と棍棒を持たせ

囲われた広場に、巨大な豚とともに閉じ込める。

巨大豚は走り暴れまわり盲目の人たちを突き倒す。

盲人たちは、身を守るため

お互いを豚と思って打ち据え合うーーーー

(↑日本のバラエティー番組で、お笑い芸人に無茶をさせて 笑いを取るのに通じる空気感 といえようか)


を見て



はじめこそは

これは わたしの見るべきものではない!と眉をひそめる錬金術師だが


見物の群衆に押されて、その場を離れられず 見てしまううち


ついに、周囲の者と同様

眼前で繰り広げられる悲喜劇に 吹き出してしまう。



そしてその夜、彼はこの街に宿泊したが

夜中になり

部屋に

ユダヤ人狩りに遭う者の悲鳴が届き、聞こえてきた。


しかし高潔なはずの 錬金術師は

眠っているふりをして

襲われているであろうユダヤ人を助けには


行かなかった。




後に彼は

雇われていた貧しい貴族の 債務の一部として売り払われ

他の貴族のものとなった。



その少し前に、この錬金術師は

失敗続きの 金を生成させるための煮込み鍋の中に


いつもと違う

白い物質が発生しているのを見つけて 歓喜する。


これは、金の生成に欠かせない物質である

"プリマ・マテリア" に違いない と思う。



そんなときに

雇い主が変わり


新しい主から

錬金術の秘術すべてを開示するように命じられた。



しかし錬金術師は これを拒否し

そのため、処刑されることになった。


それでも錬金術師は

秘技の開示を、拒否し続けた。

そしてとうとう、吊るされてしまう。



秘術など

なかったのかもしれない。


だけど

錬金術の技は、彼の誇りそのもの だったのだろう。


他人の悲劇に 目を瞑ってしまう弱さがありながら


自らの誇り(秘術)は、死んでも守り抜いた。




そして


"金" は、結局

出来ていたのか

いなかったのか。









《魔女狩りについての手記》

見習いの、若い修道士の眼の前には


これから、魔女として火刑に処される少女が

木の棒に縛り付けられている。



彼女は、年老いた母親を抱えて

針子として懸命に働いていたのだが


何故か

悪魔と姦通し

人々に幻聴を聴かせる魔女だとされ


今、このような状況に陥っているのだった。



彼女を 魔女だ、と決定付けた

針刺し師による 

"針に刺されても、血が出ない" という判定方法も…


針先が肌に触れると

刺さるどころか、引っ込む仕掛けが あったようにしか

見えなかった。




魔女とされた 少女は


恐怖と緊張で乾いた喉から

何か 言葉を発しようとしている。




なかなか 言葉にならない。


それでも、何かを 言おうとしている。




「コ、コ…   カ、…   ア」




ようやく、言葉に なる。




「ア、カ…       神様。」







…神様、助けてください。…




 



その神の名において

これから、焼き殺されようというのに


少女は

神に祈るのだった。




修道士は 思う。


これまでも自分は

魔女を…人を焼く臭いを たくさん嗅いできた。

嗅ぎ続けてきた。



これが、本当に、神へ寄与する行為なら

これからも 喜んで嗅ぎ続けよう。

しかし




これまでも 何度も、こうして 

火をつけられ、焼かれようとする者から


神に救いを求める 悲痛な声が 上がったが 


一度たりとも

神が これに応えたことはない。


奇跡を見せてくれたことは ない。





今、燃やされんとする この少女も

到底、魔女とは思えない。


しかし…

ついに、彼女は、燃やされてしまった。


今回も、神の奇跡など 起きなかった。




若い修道士は、思い悩む。


この 弱者の

今の声に応えぬ神とは、何なのか と。


どんな悲劇があれば、神は奇跡を見せるのか と。


信仰への、神への疑念に 苦しむ。




しかし

そんな彼に、ベテラン修道士は言う。



そんな風に

悲劇を嘆く自分でいられて、幸福だろう?と。


世の不条理を嘆く自分 というものに

酔いしれているのだ と。




どんなに虐げられ


理不尽な無実の死に直面した者の声さえも 


神には届かないのか。




この、ベテラン修道士も

かつては、見習い修道士と同じように

良心の呵責に苦しんでいた。


聞こえぬ神の声を聞くために、荒野をも彷徨った。


しかし神の声は、ついに聞こえなかった。




代わりに、彼が得た答えは


この世は、しょせん不公平で不条理だ。


良心に従って悩み苦しんでも

なんの答えにも、救いにもならない。



悩みを悩みとして

苦痛を苦痛 として 受け止めるから 苦しむのだ。



ならば


この、殺される側ではない


悩んでいるだけでいられる立場を

思う存分、愉しめばいいい。



間違った処刑を行っても

多少の罪を犯しても


何もせず

"赦してくれる" のが、神 なのだ。




苦しみを、苦しい!と感じることが

間違っているのだ と。

だから苦しいのだ と。




それでも、見習い修道士は

しばらくのあいだ、自分の良心を保って

神の奇跡を信じていた。



しかし

度重なる魔女の処刑と


起きぬ神の奇跡と


自分の苦悩とは かけ離れた、貧しく愚鈍な民衆の様子を


見続けるうちに





やがて感覚が疲れ果て

麻痺し。




ついには

自分の身を襲う、冬の寒さを和らげ

暖を取るために


魔女が燃やされている炎へ と


一歩、近づいていくのだった。







………





占い師の男は

雇い主である資産家の男から


最終的には、殺されそうになる。



殺されない。




何が 資産家の男に 気変わりさせたのか。




殺される予感を察知した占い師に、強要した

最後の占い(タロット)


占い師自身に 気分的な余裕がなく

いかにもな、厳かな演出も雰囲気もない


ただのカードめくりにしか見えなかったから

興醒めしたのか。


とにかく 資産家は

占い師の さつがいを 取りやめた。




やめた というより


信じていた "占い" の、真の姿が

あまりにも拍子抜けするような、味気ないものだったから

意思の力がつきたのか。



とにかく、占い師の生死は、資産家の気持ち一つで

紙一重だったが

助かった。






一方、資産家の男は


自らの近い死期を感じ取っていた。

その予兆も まだ ないうちに。



そして間もなく 彼は

初期の新型コロナウイルスに感染して 

予感した通りに 死ぬ。


ただ、死因まではわかることができなかった。




だけど本人による死の予感は、的中したのだ。

大事な人の死期は 全くわからなかったのに。




このあたりに

超常的な現象への 肯定が描かれてる 

と思った。



世の中、神による奇跡は なかなか起きないが


それでも

不思議なことが起きることがあるのも

事実だ。







新コロといえば


その感染が全国に広まりはじめた当時

日本各地で、他県ナンバーの車に危害を加えるという暴挙が繰り広げられていた。


それは

中世ヨーロッパで、ベストが流行り、魔女狩りが行われていた頃の

民衆の心理に、似ていたのではないか。


疫病への恐怖のあまり

何かをスケープゴートにして、攻撃しないでいられない。


まったく、進化しない ヒト という生き物。






それから

文字を持つ以前の人間と

文字を持った以降の人間とは


脳の構造が変わったのではないか という話も興味深かった。




文字を持たなかった頃の人類は

脳内で 神の声を、聞いていた と。 

その脳は、現代人のものとは 違う性質のものだった。



しかし、文字を持ち文明が発展するにつれ

ヒトには、神の声が聞こえなくなった。



神の声が決めていた事どもを

その声を失った人間たちは


自分で決めなくてはいけなくなって。




自分で決めることに疲れて

人は


また、誰かに、何かを決めてもらうことを求め

占いやオカルトを生み出したのだ 


という見解。







…こんなふうに


わたしにとって

この本は


全体像を捉えて総合的に考える というより




一つ一つのエピソードについて

ぽつり ぽつりと考えるのが精一杯


な 作品だった。





テーマが

わたしには、壮大すぎたのかも 不安