すべての偏見はなくすものではなくて、乗り越えるもの。
こんにちは、古賀満美子です。
この記事は、パン教室の運営にかかわらない、一休み記事です^^
お時間のある時にお楽しみください♪
世の中には、また私たちが日常に取り巻く環境には常に「偏見」が存在します。
目に見えていても、目に見えなくても。
偏見は「悪いもの」だけじゃなくて、いいものにも当てはまると私は持論を持っています。
日本は特に「偏見」が表に出にくい文化、だからこそ、余計に表に出てしまいやすい特徴があります。
義務教育では「足並みそろえる、皆同じ行動を取る」教育を受けます。
これは素晴らしいと世界でも評価されている恩恵が日本の義務教育にはあります。
そんな日本で、日常生活をしていても、多少「偏見」にさらされることはあります。
そして、人間である以上この「偏見」をなくすことはできません。
人間は神様ではなくて、弱い人間だからです。
私にも張られているレッテルがあります。
ラベリングされるだけじゃなくて、私自身も誰かを知らずにラベリングしてしまう弱い部分があります。
自分がラベリングされることについては私はなくそうとか、だから隠そうとか思いません。
いいじゃないですか「・・・・・」と思われたって。
そう周りがもつ「偏見」は自然の摂理なのです。
そして、私自身も等しく「偏見」をもって何かを見たりしている。
これなくして、逆に何かを見ることは難しいと思うくらいに人間の性。
「偏見」はなくすものではなくて、個人が自分を大切にしたうえで「乗り越える」ものだと思っています。
社会は、人間である以上どうしても改善できないものがあります。
そのうちの一つが「偏見」であります。
なくすことはできないし、これがあるからこそ人間らしくいられます。
乗り越えるものです。
白い目で見られても、「乗り越える」ことで、もっと「私らしさ」「人間らしさ」に深みが出てきます。
私たちが、自然としていても「白い目で見られること」はあります。
それは許してあげてください。
「偏見」を持たない人間なんていないのです^^
人のことをあーでもない、こーでもないと勝手な偏見でいろんなものを見てしまう。
「人間だもの」
闘う必要もなくて、一緒に乗り越えていけたらいいね。