作っていると
カーネーションのようになりました。(^▽^)ノ
今日は成人の日ですね。
成人の方おめでとうございます。
テレビで「大人の自覚はあるのでしょうか」
などと聞くと
逆にちょっとかなしい気がします。
ある意味周りにも責任はあるんだし
テレビの人や政治家さんとか、批評すればいいってことでもないわけで
やっていいことと悪いことが分からない、と人のことをいう前に
することないの?と感じることがある私なのです。
批判ばかりする政治家って、何ができるのかなって疑問。
ですが、これを言った途端に
それじゃあなたは、みたいなことになるので
私はめったに批判しないほうだと思うんですけど
大人の自覚はあるんでしょうか
なんて言葉を変だと思わずに使える人の神経とセンスを疑う私です。
私は成人する子どもがいるような年齢になりましたけど
いい加減なこと言ってると、つつぬけバレてるんだよ
と、おかしなことには敏感です。
成人の日、私はすでに傷ついていましたが
若かったのでそうは見えなかったかもしれません。
最近分かったことで、心の傷は脳に実際傷になってるって新聞で読んだんですけど
私は結局、いましあわせでいるけれど
たとえば立ち直れないくらい何か人を誰か頼りにしたいような時に
周りにいないような時、たとえばそういう人を受け入れて、おにぎにや手作りのごはんで
ただただ話を聞いて癒やしてくれるような‥佐藤初女さんのような人がいると分かったら
分かった時点でちょっとは救われたりして
尊敬できる人がたくさんいるんだって分かったら
その時点で瞬時に理解する何かってあると思うので
脳の傷が癒えていくかもしれません。
私は若い人にはそういう
尊敬できる人間の手本になるような人を
沢山見せてあげられる社会であってほしいなと思います。
私の好きな言葉で
サンテグジュペリのがあるんですけど
意味としては、花や実を人は賞賛しやすいものだけれども
それとつながるものは枝や幹であり、根っこや土や堆肥であったりするのだから
そればかりを愛でるものではない
みたいなことばがあったのと
出来ない人は出来る人を見て、ああいう風にすればいいんだなと思い
逆に出来る人は出来ない人を見て、自分がやらなければ、と思う。
だからいらない人はいないんだ。みたいなサンテグジュペリの言葉です。
この二つは意味が似ていますよね
花や実ばかりが素晴らしいのではない
という言葉と同じような意味で。
何をするべきかというのは、そこの場所でその能力で出来ることをすればいいのであって
出来ない人が悪いかのようなものの言い方をしたところで、その人のの能力が判定されたり上がる訳ではないので
単に無駄なばかりじゃなく
逆に人の神聖を疑う
天につばな行為と思います。
前述の佐藤初女さんが
熊本に来られた時に
講演のなかで、
私、人にいいつけるのがきらいなんです
ておっしゃっていて、印象的でした。
ほんとそうだなって。
ああしたら、こうしたら、なんでこうしないの?とか。人に言う人が嫌いって分かりますよね。
花や実になれた人が
かりに、幹に、または堆肥に
または逆に…指示できないのと同じように
またはどちらが偉いとか解ってるとかではないのだと思う
(偉そうな人は偉そうな人でであって、偉い人ではない)
というようなニュアンスのものと思いました。
正直、政治家の現状と役割って、こんな今のレベルでいいんだろうかと思うものの
出来る人に任せなければならず
皆さんと同じように
私も出来ることをやっています。
こういう伝えることも
何かの縁があるのかも。
今日は私は休憩しつつお引越準備です。
しばらく忙しいので
記事アップしてもコメントはもらったら後日公表することにようかな‥。
楽しみにしつつ
時々発信していますね。
今日は祝成人で
ちょっと書きたいこと書いてみました。