辛く大変な環境で
避難生活を送っていた私。
私が住んでいた地区全体が
全壊地区指定されるほど
本当に被害が大きい所で
近くの駅は二つとも
崩壊していたこともその時は知らず
学校や公民館など
避難している人達が多すぎて
半壊の自分の家に居るのが一番安全だった。
震災の直後、奇跡的に実家の父に
みんな無事だからとだけ
伝えることが出来たのだが
テレビで現状を見ていた親戚たちは
死亡欄に私たちの名前を探していた
と言うぐらい酷い状況だった
しばらくして、支援物資で子供のおむつや
粉ミルク、哺乳瓶など
私の所に大きな箱が届いた
しかし、息子は母乳しか飲まず
こんな状況でも母乳は十分出ていたし
粉ミルクも哺乳瓶も必要ないので
他の方へどうぞと言うと
『 今この辺で、乳飲み子抱えて
未だにここに居るのは
あなたしかいないので
受け取ってください 』
と言われてしまった
そして、妹夫婦が車で
迎えに来てくれて
実家に避難出来てから
ご近所さん達に粉ミルクや
哺乳瓶などをもらってもらったのである
大変な目に合ったものの
実家に戻り、両親と娘と息子
5人での生活はとても穏やかで
楽しい事の連続だった
何の不安も心配もなく
主人からの脅威も無く
この時は私自身も娘に対して
優しく笑顔で接することが出来ていたのである