先日、子どもたちの大会サポートに向かう電車の中で、

私の斜め前の座席が空きました。

 

空いた座席の正面に立っていた女性が、

パッとその座席を手で覆って確保するや否や、

ドア付近に立っていた 5年生くらいの男の子を必死に呼んで

すぐさま座らせました。

母である女性は立ったままです。

 

親である自分は立ったまま、

他の人に座席を取られないよう必死に席を確保し我が子を座らせる。

近頃は、そういう光景が当たり前になりました。

子どもたちも、当然のように座ります。

 

一見、我が子を大切に慈しんでいるように思えますが…果たしてそれが

本当の「親の愛」なのでしょうか…はてなマーク

 

子どもたちはこれからの人生、どのような荒波をも乗り越えて

泳ぎ切って行かねばなりません。

 

独り立ちするまでの20数年間甘やかされて、

「自分が座るのが当然である」と仕付けられた子どもたちは、

「自分が一番」なのであり、

「自分が良い思いをするのが当然」と

心底思うように「教育」されてしまいます。

そういう価値観が当然になった子に、

「忍耐すること」や「他者を思いやること」と言った、

人として必要不可欠な心得が育つとは到底思えず、

結果、社会に役立つ能力を身に付けることはあり得ないでしょう。

 

同じ車両内に、別の父子がいました。

小学1年生くらいの男の子とお父さんです。

 

その親子は端から「座ろう」とか「我が子を座らせよう」

という気持ちは毛頭ない様子で、

ドアのところに立って ずっと外の景色を眺めながら、

楽しそうにおしゃべりをしたり、ヤクルトを飲んだり。

お目当ての駅で電車から降りた男の子は、

運転手さんに「ありがとうびっくりマーク」と手を振って

お父さんと一緒に電車を見送っていました。

とても爽やかな光景でした。

 

対照的な親子の姿を見て、

何気ない日常での「子育て」の重要性を痛感しました。

 

ずっと立ったままでも、

車窓からの外の景色を眺めながら 心楽しく旅をした男の子は、

明るく、かつ忍耐強い人間に育つのではないかはてなマークと。

そしてそういう人間こそ、社会の中で必要とされる人材になるのだ、と。

忍耐強さは、”親の愛”にくるんで教えるのが最良の方法だと思っています。

 

今日は「子どもの日」であり、「端午の節句」です。

日本の奥深く伝統的な価値基準が崩れている現在ですが、

であるからこそ、

お父さん、お母さんの子育てに対する理念をもう一度、

しっかりと振り返り、固めてみてはいかがでしょうか ウインク