この宇宙は協調・共栄・調和でできています。
誰かが自分のために
自分は誰かのために
と皆助け合って、ともに永遠に変化し続けています。進化し続けています。

私たちの身体の中で各細胞たちも
「自分が、自分が」と自分本位の自我丸出しではなく
自分自身の務めを渡し、務めを果たすことによって他の助けとなって 調和して動いています。

振り返って、私たちが神社仏閣に行って
・神様お願いします
・これをしてください
・あれをしてください
そういった欲望丸出しのお願いをしていたら
祈られた方の神様はどんな気持ちでしょうか?
憐れんだ神様は手を差し伸べてくださるでしょうか?
その状況から一瞬で救い出してくださるでしょうか?

たとえ、神様が憐みから
救い上げてくださっても
その直後は幸せを感じるかもしれません。
ですが、本人の心は何も変わってはいないのです。
その苦しみ悲しみを引き寄せた状況
つまり自分の心の状態が何も変わってはいないのです。

そのような状況で、たとえ一瞬救い出されたとしても
時が経てばまた同じような状況、苦しみ悲しみが訪れてしまいます。
なぜなら私たちは神様に似せて作られ
神様と同じ能力、
つまり心に思ったことを全て自分の目の前に創造・実現してしまうからです。
せっかく神様が救ってくださっても
私たちの心が変わらなければ
再び同じ苦しみに囚われてしまうことを
神様はもちろんご存じです。

私たち自身の心が変わらない限り、たとえ神様といえども
手の出しようがないということです。
これと同じことが先祖供養にも言えます。
自分が苦しいからと
ご先祖に対し無理難題の欲望をぶつけたら、
ご先祖はどんな気持ちでしょうか?
ましては、神様の道から外れてしまい、
暗く、地獄のような世界にいらっしゃるご先祖なら、どう思うでしょうか?

自分が助けて欲しいのに
子孫が自分勝手な、
自分だけの欲望丸出しのことをお願いしてきたら、
自分の方こそ、助けてほしいと
へそを曲げるかもしれません。
私たちは神社仏閣で、
・祈るときも
・先祖を思う時も
不平、不満、愚痴をぶつけるのではなく
感謝の気持ちをお伝えしたいものです。
神様や、先祖をを思いやること。

この姿勢は本当に何事においても大切なことです。
感謝の心を持つ時、
私たちの心は神様の光で満たされます。
それによって、私たちの運命が少しずつ、少しずつ好転していきます。
不平、不満、愚痴、自分の欲望ばかりを口にしていては
心は暗く真っ黒くなるばかりです。

決してその状況が改善することはないでしょう。
欲望をぶつけられた神様も、ご先祖も暗い気持ちになることでしょう。
全ての運命・出来事は
この心の方向性によって変わってきます。
普段の生活の中で、この心の方向性を意識するだけで、
ずいぶんと運命が開けてくるはずです。

それは自ら自分自身を救うように、
自分の足で立ち、自分の意志で心を決め、
そのように行動したからです。
ぜひ静かなところで
今の自分の心の中を少しのぞいてみてください。
