光クラブ事件とホリエモン
彼は時代が生んだ”トリックスター”か
高木著『白昼の死角』そして
三島由紀夫著『青の時代』のモデルである山崎晃嗣は
東京大学・法学部学生で銀座のヤミ金融会社「光クラブ」社長
彼はアプレ世代で、お金や女性を物として捉える価値観といい学歴までが
ヒルズ族と呼ばれるホリエモンと非常に類似しているようです
光クラブは設立から3ヶ月間で1000万円の大金を動かすまでになった。
翌24年1月、光クラブは中野から銀座に進出する。
この頃同社は資本金600万円、株主400人、社員30人に急成長した。
「年中無休!!
天下の光クラブは精密な科学的経済機関で日本唯一の金融株式会社です」
というキャッチコピーを新聞広告で大々的にPR。
東大生の社長と新世代をイメージする「光クラブ」というネーミングが評判を呼び、
銀座に移転してから3ヵ月後には月商5000万円に達する
空前絶後の成長を遂げていく。
-アプレ犯罪のはしり-
光クラブの未曾有の急成長はわずか1年で崩壊する。
昭和24年7月に山崎はヤミ金融の容疑で京橋署に検挙された。
この時、山崎は「人生は劇場だ。ぼくはそこで脚本を書き、演出し、主役を演じる。
その場合、死をも賭けている。
もっとも、死そのものを僕はそれほど大仰に考えていませんけどね」と供述している。
山崎は9月処分保留のまま釈放されたものの光クラブの運営は滞り、
出資者から出資金の返済を迫られ11月24日前述の通り自殺した。
返済期日は11月25日であった
。山崎は遺書に「貸借法、全て‘清算カリ‘自殺」、
「私は行き詰まったからでも、
債権者に死んでお詫びするというセンチメンタリズムで死ぬのではない。
契約は人間と人間を拘束するもので、死人という物体には適用されぬ。
そのために死ぬ」と遺されていた。
山崎は「アプレ犯罪のはしり」と言われた。
アプレとは「戦後(の世代)」を意味するフランス語で
アプレ・ゲールを略した当時の流行語。
感じやすい年頃に終戦を迎え、
青春真っ盛りの若者達に現れた既成の価値観への拒否姿勢。
ときに無軌道に走る行動、享楽本位の行き方といった特質を広くさして言う。
ー 事件史探求 ーより
- 高木 彬光
- 白昼の死角
- 三島 由紀夫
- 青の時代
時代が天才を狂わせるのか、未成熟な欲望か
所詮、凡人には起こせない事件です
おまけ
宇宙食