昭和24年弟が生まれる母は泣くとおっぱいを与えていた。
寝る時も弟に母を取られて寂しかった思いが残る。
母にだっこされたくて弟を引っ張っりじゃれ付いた。
その時の母のぬくもりが残っている。
弟が1歳になった頃からおっぱいを離す為に
おっぱいに、にがい物を塗ったりしていた。
弟が誕生してから夜は父と姉と3人で寝ていた。
母と寝たかった。 その頃、家にあった五右衛門風呂に
暴れ馬が引いた馬車が飛び込み壊れた。
風呂の入れなく成ったこと、
縁側の床下でにわとりを飼っていたこと、
ひよこの糞を口にあのへんな味が今でも残っている。
4歳の時に始めて汽車に乗った。
シエミツ叔母さんが目の治療で指宿の病院に通っていた
時に乗った当時が鮮明に浮かぶ。
指宿駅に下りたときホーム、改札口、駅舎嬉しかった事、
駅から病院まで歩いた途中の壊れた家、今思うに戦争の
傷後だっただろう。
バネ足の赤いタコおもちゃを買ってもらい嬉しかった。
あれから68年シエミツ叔母さんも15年前に亡くなった。
自分も72歳次々と当時が懐かしくこみあげる現在である。
平成29年8月31日