「暗闇の丑松」をご覧になって、銭湯の湯船で人が刺されていて、みんな気づかないことに、違和感をお持ちになられる方も多いと思いますが…

あの頃の銭湯は混浴で、洗い場こそ別々ですが、湯船にはザクロ口という湯が冷めないように張られた板をくぐって入る仕組みになっていて、中は湯気でもうもうとして何も見えない状況だったようです。

なぜ「ザクロ口」か?ザクロの実で作った酢で鏡を磨くときれいになったことから「鏡入る」→「くぐみ入る」で、板をくぐって通ることから呼ばれるようになったそうです。

江戸は関東ろーむそうで砂ぼこりがひどく、江戸っ子もホコリだらけで、日に4~5回、湯へ行っていたようです。湯券といってフリーパスも販売していました。

そのお風呂好き?なところから江戸っ子は「垢抜けた」と云う言葉が生まれたとされています。

芝のぶちゃんが美しい半裸をお目にかけて、赤いキレをかけますが。

そう、「源氏店」で湯屋帰りのお富さんがくわえて出てくる…あれです。

「ぬか袋」

赤いキレの部分が袋になっています。洗い場には、山盛りにされた糠(ぬか)があって、それを袋に入れて体を洗っていたようです。

また湯をうめるように頼みますが、落語などでご承知の通り、江戸っ子は熱い湯が好き?で。うめるのは女性が髪を洗うエリアだけだったようです。

もう少し以前は「播随院長兵衛」の水野十郎左衛門宅の湯屋で、お風呂入る場面で長兵衛が浴衣を着て出てきますが。「お風呂はいるのに、なぜ浴衣?」とお思いでしょうが、読んで字のごとく「浴衣」。そのままお風呂に入っていたのです。


ところで今の湯銭ご存知ですか?


…450円。


たまに、懐かしく銭湯もいいかもしれませんね。