中村富十郎いらい、本当にたくさんの方が創意工夫をこらし必死に勤めてきた

「道成寺」


手前ども成駒屋でも五代目歌右衛門以来、家で、もっとも重い女形舞踊として受け継いでまいりました。五代目歌右衛門、五代目福助、六代目歌右衛門襲名の折りにも「道成寺」を勤めてまいりました。

平成四年。私めの「九代目福助襲名」の折りにも歌右衛門指導。芝翫監修で勤めさせていただきました。父はもちろん、歌右衛門おじもとても厳しく、細やかにいろいろなことを教えてくださいました。

今回、勤めるにあたってもどんなにか参考になっているか、はかりしれません。

この一月に勘三郎兄さんが音羽屋式でお勤めになられましたが…その時と小道具、かつらなど比較するとおもしろいかもしれません。

また追々お話しますが「金冠」の部分だけでも。中啓を手前どもは「桜にまんまく」で、あちらは「蟹菊」→団十郎家が「蟹牡丹」をお使いになっているのを、六代目菊五郎おじさんが、洒落て菊になさったといわれています。

だいたい手前どもの振りの原型は花柳流です。


「金冠」の終わりに縄に金冠をかけるのも、家だけになってしまったようです。

「道成寺」についてはまた書きます。