アナログにんげん | Kohのブログ

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日々、思い煩う事なく愉しく楽しく!

「6時半になったら出かけよう」


と母が言うと娘は


「半なんて言い方しないんだよぅ」


と宣ふ・・・




なにも間違っちゃいないと思うんだけど,そんな風に言われると気になるよね。




そんなことを思ってたら、好きな歌人の書かれた文章の中に


”なーんだ、そういうこと!”ってのがありましたので書いてみます。














【抜粋】


時刻について、私がコドモのころは「4時半」「5時10分前」「6時10分過ぎ」と


いうような言い方がしばしされていた。


これらはいずれも時計の針のイメージだった思う。




(略)




だが現在は同じ時刻のことを「4時30分」「4時50分」「6時10分」と


フラットに表現することが多くなっている。




また「16時30分」のような24時間式の言い方も以前より多くなってきている。


時計のイメージが薄れてデジタル式に一元化されたということだろうか




おそらくはその延長として「26時」とか「28時」といったような表現を


見る機会も増えた


これらは「(翌日の)午前2時」「(翌日の)午前4時」のことである。


前日からの継続性が念頭にあるわけだ。




(略)




以上の点から我々の生活上の時間はデジタル的に均一化されつつ、


どこまでも連続する感覚が強まっているように思える。




是非はともかく、自分の意識もまたそうした環境の影響を確かに受けているようだ。




(略)




もうひとつ思い当たるのは心理的な時間に対する感覚の鋭敏化だ。


朝、出勤する家人をドアから送りだしたとき、何秒後にかぎをかけるかいつも迷う。




外に出た瞬間にカチャンと閉まるのはさみしくないか、と考えてしまうのだ。


送り出した相手が誰なのかによってもこの意識は微妙に変化する。


電話を切るタイミングにも通じる迷いだ。




またホームから電車を見送り見送られるときや、赤信号の向こうに


知人を発見したときの間が持てない数十秒や数分をどのように


やり過ごしたらいいのか。




いずれも正解らしきものはないので困る。以前、アナログ的な時間の中では、


「半」「前」「過ぎ」的にアバウトな流れの中で自然な対応が為されていたように思うのだ。




それともあの時間の焼ききれそうな気まずさを共有することこそがデジタル世界の


人間に残された絆の証なのだろうか。






穂村 弘(詩人・歌人)




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この文章をお読みになって、


「う--なるほど!」とお思いになられたお方はきっと同年代・・・(〃∇〃)








ちなみにこの歌人は歌を口語体や会話体を駆使して詠むことで知られています。


経験や見たもの聞いたものを詠むのではなく、感性や感覚で詠いあげた


歌が多いのです。




『いくたびもゆるされて いま あたたかい涙のような ほとばしる記憶』


『リニアモーターカーの飛び込み第一号狙ってその朝までは生きろ』



                                  (穂村弘)