振り返れば、20年という時間が流れていた。

じゃあその果実は?

果実を求めてやり続けていたわけではないのですが。

利き手首骨折のおかげで、普段感じることもない流れた時間の重みとその値打ちが目の前に広がっていることに気づかされる。

ムダ、無為、な時間だったかも・・と、ふっと立ち止まるような時がなかったかと問われれば、そうだねと言わざるをえないです。

いやいや、過ごした時間、費やした日々の値打ちに、かなうものはないはず。

と、言うことが分かったこの数週間。

ほぼ毎日12時間を福祉亭で過ごしていた。

社会的な規範で照らしてみれば、いささかの疑問がわくような状況。

脆弱な運営体制。離合集散。よく続いてきた。

保育園児さんから、子ども食堂のおばさんと言われて、あれ?

それぞれの年代との接し方によって、担う役割が違ってみえるものらしい。

もともとは、高齢化する地域での市民活動の一形態。

時間の経過と共に、増えた?変化した?活動のナカミ。

外的には、まちの食堂の姿。

運営費の捻出のお役を担う姿。

利き手手首骨折で、本来仕事にはまだ復帰できず、今は、フロントでお顔見知りのご利用者さんとお客モード。

高齢のご利用者さんが、スタッフのなにげない心遣いに、ふっと、もらしてくれた。

ここは、家族みたいなものでしょ・・と。

内心、目を見張った。そお??!!と。

立上げ時、どれだけ、それを願って一日一日を積み上げていたか。

それでいて、やっぱり、家族にはなりきれないまま、地域の居場所として今は過ごしているのに。

家族みたいですか??!!

言ってみれば、やった~~~!!やりましたね!!です。

費やした時間の重みは、諦めた頃に、その姿を現すものなんですかね。