先日赤松小三郎研究会に出席した。
その中で、大政奉還150周年記念プロジェクトを京都市が行っていると言う情報を得た。京都市のホームページに、赤松小三郎が紹介されている。今年は京都が楽しみだ。
また10月には、東京(研究会主催)で、桐野作人さん(歴史作家)に講演会をしていただくことを計画中との事これもまた楽しみである。
赤松小三郎の写真の周辺をクリックすると以下のプロフィールが出ます。

赤松小三郎は天保2(1831)年、上田藩士芦田堪兵衛(あしだかんべえ)の二男として誕生。嘉永元年(1848)18歳の時に江戸へ行き、勝海舟(かつかいしゅう)の下で兵学などを、長崎の海軍伝習所では航海術などを学びました。
24歳のとき、上田藩士赤松家の養子となります。慶応2年(1866)に京都で私塾を開いて英国式兵学を教えました。そのかたわら、薩摩藩から兵学教授への就任を請われ、京都の薩摩藩邸で中村半次郎(桐野利秋)や後に元帥海軍大将となる東郷平八郎らを教えたほか、会津藩の山本覚馬(かくま)から依頼されて会津藩洋学校でも兵学を教えました。
赤松は坂本龍馬の「船中八策」に先立つ慶応3年(1867)5月に、幕府政治総裁職だった福井藩主の松平春嶽(しゅんがく)、薩摩藩の島津久光に二院制国会創設など7項目の建白書を提出しています。
語学にも秀で、『英国歩兵練法』を翻訳して出版、日本の兵制確立に貢献しました。「気ヲツケ」「前へススメ」などの号令は赤松小三郎のつくった言葉です。
慶応3年(1867)9月、京都から上田に帰る途中、京都の東洞院魚棚で待ち伏せていた中村半次郎(桐野利秋)らに暗殺されました。享年37歳。
墓所は京都市左京区黒谷の金戒光明寺。上田市の月窓寺に「遺髪の墓」があります。
