真田丸(大阪市天王寺区)を訪ねて | 2016年は、真田丸

2016年は、真田丸

使い方がよく分かりませんが、自分のメモとして

今年撮った写真の整理をした。大阪の写真が、大量にあったのでアップする。

7月、大阪に5日間滞在し、大阪夏の陣関連史跡や、真田丸があったといわれている場所を、歩きまわった。(早朝と夕方から)

地形的には、砦は、標高差のある丘(現在の真田山公園の辺)を中心に広く築かれていたこかとが、確認できた。その後、本を読んだりしてなんとなく真田丸のイメージができたような気がする。

商店街とか真田幸村ゆかりの地は、六文銭の旗が、立てられ、真田丸ブームが始まっていた。
今度は、地図(古図と現在のもの)を片手にゆっくり、境目と思われるところを確認したいと思った。


三光神社にある真田幸村の銅像。左側は真田の抜け穴。      同じような 抜け穴伝説のある遺跡は上田(長野県)と九度山(和歌山県)にもある。


三光神社は、宰相山公園にある。

真田の抜け穴(洞窟)は大坂城につながるもので、真田幸村が作ったと伝えられている。

しかし、最近の研究では、攻め手の前田利常(宰相山に布陣)が、攻め込むために作ったという説もある。



心眼寺

心眼寺。坂からわかるように砦自体は、丘になっている。


真田幸村出丸城跡の碑(心眼寺)



地下鉄 玉造駅にあった観光案内図。大坂城の方向は上側(北側)。真田丸は、この図の下半分のエリアにあったといわれている。


地下鉄 玉造駅にあった観光案内図。


住居表示、『空堀町』。北側、坂を下りきった場所。古図にある大坂城(惣構え)の内側と外側の境目部分か?


真田山公園。丘陵の上に、平地の状態で現在まで残る。


商店街に『幸村ロード』の旗が、多数見られ、大河ドラマに対する盛り上がりが感じられた。