今年撮った写真の整理をした。大阪の写真が、大量にあったのでアップする。
7月、大阪に5日間滞在し、大阪夏の陣関連史跡や、真田丸があったといわれている場所を、歩きまわった。(早朝と夕方から)
地形的には、砦は、標高差のある丘(現在の真田山公園の辺)を中心に広く築かれていたこかとが、確認できた。その後、本を読んだりしてなんとなく真田丸のイメージができたような気がする。
商店街とか真田幸村ゆかりの地は、六文銭の旗が、立てられ、真田丸ブームが始まっていた。
今度は、地図(古図と現在のもの)を片手にゆっくり、境目と思われるところを確認したいと思った。

三光神社にある真田幸村の銅像。左側は真田の抜け穴。 同じような 抜け穴伝説のある遺跡は上田(長野県)と九度山(和歌山県)にもある。
真田の抜け穴(洞窟)は大坂城につながるもので、真田幸村が作ったと伝えられている。
しかし、最近の研究では、攻め手の前田利常(宰相山に布陣)が、攻め込むために作ったという説もある。

地下鉄 玉造駅にあった観光案内図。大坂城の方向は上側(北側)。真田丸は、この図の下半分のエリアにあったといわれている。

地下鉄 玉造駅にあった観光案内図。
住居表示、『空堀町』。北側、坂を下りきった場所。古図にある大坂城(惣構え)の内側と外側の境目部分か?

真田山公園。丘陵の上に、平地の状態で現在まで残る。
商店街に『幸村ロード』の旗が、多数見られ、大河ドラマに対する盛り上がりが感じられた。



