正式な発表
死者、行方不明者数が2万2222人
この2並びの数字ってあるのかね
22,222人って、偶然かもしれないが不思議な数字
個々人の
人生が無くなる
ご冥福をお祈りいたします。
2024年3.11
戦後最悪の自然災害となった東日本大震災は11日、発生から13年を迎えた。
関連死を含む死者・行方不明者は2万2222人。
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東京電力福島第1原発事故により今も福島県7市町村に帰還困難区域が約310平方キロ残る。避難者は2月1日現在、2万9328人いる。
そろそろ、
自立しないと
memo
岩手のニュース
2018年03月
<震災7年 仮設入居者のいま>迫る退去期限「そろそろ、自立しないと」
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で住み慣れた古里を失い、今なお仮住まいが続く人々がいる。自立への不安、励まし合った日々、つらさに耐え、抱き続ける帰還の願い-。仮設住宅で7年を迎える、それぞれの思いとは。
◎盛岡 熊谷真吾さん(36)
熊谷真吾さん(36)一家は4月上旬、7年近く住んだ盛岡市のみなし仮設住宅を退去することになった。「家族3人、安定して暮らしたい。今はそれが一番」と話す。
生まれ育った大船渡市で被災し、自宅も勤め先も津波で失った。
妻麻衣さん(29)、当時1歳だった長男頼人(らいと)君(8)と共に盛岡市に身を寄せて2011年5月、みなし仮設住宅に入居。復興支援に取り組む一般社団法人「SAVE IWATE(セーブイワテ)」の職員となり、家族を養ってきた。
仮設住宅の入居期限は毎年延長が繰り返されてきたが、新年度以降は災害公営住宅の入居予定世帯のみに限定される。
小学2年になった頼人君のことを考えると、転校を余儀なくされる災害公営住宅への入居は選べなかった。退去期限は今年5月19日と決まった。
「ついに来たか」。本音を言えば、延長してほしかった。だが「被災者と言われ続けるのも嫌。そろそろ、自立しないと」。
昨年12月、盛岡市内の運送会社に転職した。
新生活には不安もある。今は家族3人が食べていくので精いっぱい。「掛け持ちで、仕事を増やそうかな」と思う時もある。
時折、自分の心が大船渡から離れていると感じる。「現実的に考えて、戻るのは難しい。いつの日か大船渡に帰り、夫婦でゆっくり暮らせたらいいなと思うけど…」(盛岡総局・松本果奈)
memo
福島のニュース
2018年09月
「仕方ない、でも…」不安募る避難者 仮設住宅無償提供、終了時期公表
「そろそろ折り合いを付ける時かな」。福島県浪江町から避難する斎藤基さん(67)がぽつりと語る。
<諦めの声広がる>
東京電力福島第1原発事故から7年半が迫った8月末、福島県は避難者向け仮設住宅の無償提供の終了時期を公表した。浪江、富岡両町は2020年3月と示された。
斎藤さんは二本松市内の仮設に暮らす。「いつかは自立しなきゃいけない。来年3月には仮設を出ようと思う」。自宅は帰還困難区域にあり戻れない。同市に家を再建する方向という。
被災者の間で、県の方針に対する猛烈な反発は起きていない。「自宅には帰れないが、しょうがない」「いつまでも暮らし続けるわけにはいかない」。福島市内の浪江町民向け仮設では、諦めの声が多かった。
ただ、退去後の暮らしに不安は募る。
福島市にある飯舘村の避難者向け仮設住宅。夫と2人暮らしの佐藤隆子さん(79)は、村内に11月に完成予定の村営住宅への入居申し込みを考えている。
村の避難指示は昨春、一部を除き解除された。解除地域に自宅があった避難者の仮設終了は来年3月。浪江町より1年早い。
<期限ありき批判>
行政支援がさらに届きにくいのは、借り上げのアパートやマンションなど、みなし仮設に住む避難者だ。
県によると、20年3月末までに無償提供が終わる富岡、浪江、葛尾、飯舘の4町村の避難者では、県内のみなし仮設居住者が4055人に上る。通常の仮設住民の約8倍。他に県外のみなし仮設の住民もいる。無償提供終了後も住み続けるなら家賃が発生する。
福島県川俣町の一戸建てに夫や息子夫婦、孫と避難する飯舘村の女性(68)は「(無償提供が終わる)来年3月には家の確保が間に合いそうにない」と語る。
飯舘に戻らず町内に家を建てるつもりだが、土地を購入できていない。来春以降は「どうしたらいいか、不安だ」と打ち明ける。
県は今後、みなし仮設の避難者を対象に住まいに関する意向調査に入る。県生活拠点課は「必要に応じて戸別訪問し、住まい確保を支援したい」と説明する。
避難者の暮らし再建は県の重要課題の一つ。いわき明星大の高木竜輔准教授(地域社会学)は「仮設終了は、避難者の自立した生活が大前提。期限ありきで進めることがあってはならない」とくぎを刺す。(福島総局・阿部真紀)
◎自治体側は帰還に期待
福島県が2020年3月末までの仮設住宅の無償提供終了を打ち出したことに、地元自治体側はおおむね容認の姿勢を示す。
今年4月時点で借り上げを含め県内外に約1800戸の仮設住宅を抱える浪江町。生活支援課の居村勲課長は「生活再建の見通しが立っていない入居者もいる」と説明。ただ「無償提供は永遠に続くわけではない。あと1年半で道筋を付けられるように支援したい」と語る。
自治体側の容認の背景には、終了時期の明示が帰還につながるのではないかとの思いもある。避難指示解除後も帰還が進まない中、仮設入居者が「避難」から「自立」へと軸足を移し、一部でも古里に戻ることを期待する。
ある自治体の担当者は「区切りを設けることで、入居者は生活再建を切実に考えるようになる。その結果、帰還が増えてくれればいい」と言う。
だが、仮設住宅を退去後に帰還する例は少ないとの見方もある。別の担当者は「原発事故からもう7年半。避難先で基盤を築いた避難者に戻ってもらうのは容易ではない」と語る。
[福島県の仮設住宅の無償提供終了]南相馬市、川俣町、川内村の旧避難区域と、帰還困難区域を除く葛尾、飯舘両村からの避難者は今年3月末で終了する。葛尾、飯舘両村の帰還困難区域と富岡、浪江両町の終了は20年3月末。これまでに楢葉町が18年3月末、県内各地からの自主避難者向けが17年3月末に終わっている。大半が帰還困難区域の大熊、双葉両町の終了時期は今後検討する。
memo
何も「みんなちゃんと一人で稼いで一人で生活して、もっと自立しましょうよ!」と言いたいわけではないのです。生活面で依存している人、稼ぎのいい男性を捕まえて経済面で依存しようと思っている人、決断力のある旦那様になんでも相談し決断はお任せしちゃってる人、いいと思います。
日々生きてゆくためにみんな必死で拠り所を見つけて、なんとか頑張って生きているのですから!
ただ、どこかでその依存した関係がなくなるかもしれないことをきちんと自覚しておくべきだ、と思うわけです。そして、その時に自分の足で立って生きてゆく覚悟は持っておくべきだ、とも。
でないと、もしもの時、一人そこから動けなくなってしまいます。絶望を感じ、途方に暮れてしまいます。
そうならないように。
I LOVE YOU