先日、福島県の未来を揺るがす非常にショッキングなニュースが報道されました。

2026年6月1日時点での福島県内の人口が「169万9,510人」となり、戦後初めて170万人を割り込んだというものです。

1998年のピーク時には約213万8,000人だった人口は、東日本大震災直後の2011年7月に200万人を割り、そこからわずか15年ほどでさらに30万人も減少したことになります。この減少スピードは、私たちの想像を遥かに超える早さで進んでいます。

2050年、福島県の経済は「6割」に縮小する

福島県が掲げる目標では「2040年に150万人程度を維持する」としていますが、現在の推計ベースではそれを下回る145万人となり、2050年には125万人にまで落ち込むとされています。

人口が減るということは、単に街が静かになるだけではありません。 2050年には働き手が決定的に不足し、県民全体が受け取る所得は2020年の「6割」にまで減少すると見込まれているのです。

経済が縮小すれば、医療や福祉、インフラの維持も困難になります。まさに、福島県という船が今、深刻な危機に瀕していると言わざるを得ません。

繰り返される「強い危機感」という言葉への疑問

この事態を受け、7月6日の記者会見で内堀雅雄知事は「強い危機感を持って受け止めています」と述べ、オール福島で粘り強く対策を進めていく方針を示しました。

しかし、この記事を目にして、私と同じように複雑な思い、あるいは強い疑問を抱いた方も少なくないのではないでしょうか。

内堀知事が福島県知事に就任したのは2014年(それ以前は副知事を約8年間務めています)。つまり、10年以上にわたり福島県のリーダーとして舵取りを行ってきたわけです。

その間、一貫して「危機感」を表明され、さまざまな対策を打ってこられたはずですが、結果として人口減少のブレーキはかからず、ついに170万人割れという最悪の節目を迎えてしまいました。

もちろん、少子高齢化は日本全体の課題であり、一自治体の努力だけで解決するのが難しい側面があることは理解できます。しかし、これほどの長期政権において明確な成果が出せなかったことに対する「政治的責任」は、どこにあるのでしょうか。

「現状維持」の続投要請に感じる違和感

さらに驚くべきは、このような危機的状況の最中にあるにもかかわらず、次の県知事選挙に向けて、さまざまな団体が現職である内堀知事の続投(5選)を求めて動き出しているという事実です。

明確な結果が出ていない政策の責任を問うどころか、当たり前のように次の任期を求める周囲の空気には、非常に強い違和感を覚えざるを得ません。

もし民間企業であれば、長年にわたり業績が悪化し続け、倒産の危機に瀕している組織のトップが、何の責任も取らずにそのまま続投を求められるなどということは、まずあり得ないはずです。なぜ地方自治の世界では、これが許されてしまうのでしょうか。

変化を恐れ、ただ現状を維持しようとする姿勢の先に、福島の明るい未来があるとは到底思えません。

おわりに

「オール福島で粘り強く」という言葉は耳に心地よいですが、今求められているのは、これまでの延長線上にある対策ではなく、痛みを伴ってでも構造を変えるようなドラスティックな方針転換ではないでしょうか。

県民の所得が6割に減ってしまうような未来を、私たちの子供や孫の世代に残すわけにはいきません。

沈みゆく福島県を救うために、誰がリーダーとしてふさわしいのか。そして、これまでの政治は正しかったのか。私たち県民一人ひとりが、耳障りの良い言葉に惑わされず、いま一度真剣に、そして厳しく見極めていく必要があると感じています。