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今日は、『いつも楽しそうな人』について書こうと思います。



皆さんは、いつも楽しそうな人って周りにいますか?



私が思っている『いつも楽しそうな人』は、



・どんな失敗でも笑い飛ばしている

例えば、鍋でコトコト煮物を作っていたら、火をつけていることを忘れて、鍋が焦げてしまった事を大笑いしながら話をする人

またある時は、山菜取りに行って、坂から転んで転倒して動けなくなったことをとても驚きながら笑って話をする人

またある時は、若い時は細くてスラッとしていてモテたけど、今は、こんなに太ってしまったことを笑いながら話をする人

またある時は、スーツのスカートのファスナーがとまらなくて(太ったため)服が着れなくなった、と大笑いしている人


普段の生活で起こったことを、(大抵失敗話)みんなに話をして、笑いながら喋ってます。


『いつも楽しそうな人』は、何でも(驚きや失敗、過去の話、普通の世間話など)笑いに変えて話をしていました。



自分が楽しんでいる感じです。




他の人と何が違う?
何で楽しくなる?



多分、失敗を失敗と思っていなかったり、
驚いたことを共有しようと教えてくれたり、
または、何も考えずに天然なだけだったり、



でも違うところは、



捉え方(とらえかた)
が違う



失敗を、失敗と思っていない、
失敗を笑いに捉える
驚きを、プラスに捉える
そもそもネガティブに思わずプラスに捉える




『捉え方』だけ違う



その違いで、人って楽しめるか、楽しめないかが変わる




それなら、楽しんだ方が得をするように
感じます。
自分も周りも楽しくなる



小さい頃は、
「またドジをした話でもするの?」
くらいにしか思ってなかったけど…
こうやって自分が子どもを持つ母となり、
分かったこと




家の中を笑いで明るくしてくれてたんだ




学校から家に帰ってきて
気分が沈んでいても、疲れていても




何でも(驚きや失敗、過去の話、普通の世間話など)笑いに変えて話をしてくれる人




私の中で『いつも楽しそうな人』は、
私のお母さん
でした。




お母さん、って家の中での存在感が
ものすごく大きいです。
お母さんが悲しんでたり、元気ない姿、
私はほとんどみたことがありませんでした。
思い出すのは、
太陽みたいな明るさ




今年の夏、私の身内で不幸がありました。
私の母は、お葬式にも関わらず、
身内の控室からそのまま葬儀に参加したため、スリッパで葬儀にでてました。




葬儀の途中で、靴ではなくスリッパを履いていたことに気づいた母は、葬儀中なのに…1人で自分の失敗を笑ってました。
(葬儀中に笑うのはよくないですが…)



こんな時まで笑ってしまうなんて…
いくつになっても母は変わりません。



そして、私も子どもを持ち、お母さんになった今、



お母さんの存在感の大きさ
お母さんが毎日楽しそうにしているか
子どもは何気なくみているはずです
(小さい時の自分がそうでした)
『いつも楽しそうな人』って感じてもらえるよう努力したいな、と感じました。




最後まで読んで下さり、ありがとうございましたニコニコ