久しぶりに長文を書いていこうと思います。

ものすごく難解になるのでこういう考え方もあるのだなくらいに受け止めてください!!

抽象度の定義からしていきましょう。

抽象度とは抽象の度合いのことで例えば物理に存在する吉岡という人間がいたとしましょう。

吉岡さんは神奈川県、桜ヶ丘駅に住んでいて、昼食に近くのスーパーマーケットで黒そばの醤油漬けを食べます。

吉岡さんは気功師で一度アメブロを乗っ取られてから新しい名前で気功師されているなど、、、と色々挙げたらキリがありません。

物理に近ければ近いほど情報量が多くなるということです。

抽象度が高い空間、物理から離れた空想の空間、情報空間ではどうなるかというと情報量は少なくなります。

吉岡さんの上位概念は神奈川在住の人間、さらに抽象度上げると関東在住の人間、もっとあげて日本在住の人間、世界に住んでいる生き物、有、空(クウ)となります。

本当は空より上の世界もあるけど観測不能な上、確かめるには達人同士の話し合いでもない限り不可能です。

補助線として抽象度の階層性は無限級数のように永遠に先があることを覚えておきましょう!

集合の論理で説明すると分かりやすいです。

Aという1、2、3、4、5、6、7、8、9という集合、Bという10、11、12、13、14、15、16、17、18、19集合があったとします。

Aという集合の中では自由に1〜9を扱うことができてBという集合では10〜19を扱うことができます。

A集合とB集合ではそれぞれ同じ位の概念でどちらが上の概念か決められないので同じ階層性、レイヤーと考えましょう。

ここで分かりやすい単語で説明します。

1個の飴と10個の飴は同じである→同じ飴である。

1個の飴と10個の飴は違うものである→それぞれ違う飴である。

何かが抜けてますよね、、。

そう間の論理です。

ここでそれぞれの人の抽象度に合わせて人それぞれ変貌させた間を作るとこうなります。

どちらも間食でよく食べるよね!!→同じ飴である。

たくさん食べたいから10個の飴の方が良くない??→違う飴である。

これは飴というものを食べものであると前提にどちらがより良いのかもしくは包摂することで同じものと認識するかの違いです。

これから分かるように抽象度にそれぞれの方向性があるのです。

抽象度の方向性を変えたりするとある特定の人にとって逆説的に聞こえることがあります。

1個の飴と10個の飴→砂糖が多く含まれるため太りやすいため→同じ飴である。

1個の飴と10個の飴→ブドウ糖が含まれているため昆虫の大好物なため→違う飴である。

ダイエットに重要性があるため食べてはならない同じ飴と認識していますが、、もう一方では昆虫に食べさせたいのに飴が多くてはならないので違う飴と認識してます。

昆虫の立場から見たら飴は実は全て同じもので、、人間から見た昆虫からだと違うと見方を変えることができます。

昆虫は人間のレベルで物事を考えることができません、、つまり抽象度に圧倒的な差が生物として存在しているのです。

昆虫はどんなことが起きても上の抽象度である人間を超えることができないのです。

上の抽象度が見えないのは人間でも起きていて限りなく賢く抽象度の高い釈迦の空の抽象度は一般の人には理解できないのです。

また人が理解できるのは自分の抽象度より一つ上の抽象度であるということも覚えておきましょう!!

抽象度の方向性とレベルを変えることで言ってることが真逆になります。

抽象度を上げると周囲の人からすると真逆の言ったことと違うことをやっているということになります。

もっと踏み込むと抽象度に方向性を与えるのは欲であるとも言えます。

経験から知り得た知識も存在していて例えば若者はルールの中で物事を柔軟にこなすことが上手に対して年功序列の長者になればなるほどルール違反の方法で解決することが得意になっていきます。

それとなく今は知って欲しいのは自我のインバースは宇宙が出力されることです。

年老いた人たちの教えには価値のある素晴らしいものもあるけど間違がっている考えを維持していることもあります。

正解か間違いなのかは何が決めるのか、、それはそれぞれの方向性での極限抽象度が決めるということになり、実践に落とす時は物理空間で運用することになります。

たまにそれを理解してないで抽象用語で理解した気、もしくは抽象用語で頭いいフリをしている人たち、上の抽象度から嘘を教えてくる人もいるので自分で考える訓練をしていきましょう!!