「御前神社」妹尾ぶらり⑥ | 倉敷ぶらり

倉敷ぶらり

リンデンの倉敷ぶらぶら日記と,岡山のドライブ日記、映画お気楽ノート、食べ歩きノート、チーズのお菓子・チーズスイーツ,カレーレポート

御前神社(おんさきじんじゃ)に来ましたよ。鳥居の脇に。巨大な「子(ねずみ)」の大絵馬。

 

 



鳥居をくぐります。

 


 

 

 

 


「児島湾漁撈回漕図」の案内板が設置されています。児島湾での漁を描いた絵馬。

 



『御前神社に奉納されている絵馬「児島湾漁撈回漕図」には江戸時代の妹尾の町の南に広がる児島湾で、「潟板漁」、「ウナギかき漁」、「カシ木網漁」等にいそしむ人々の生き生きとした姿や、旗本・妹尾戸川家の家紋「三本杉」の幡印をつけた帆船が詳細に描かれています。この絵馬は、元禄元年(1688)に一度描かれたものに、その約100年後の寛政10年(1798)に修復・加筆が行われたと考えられていますが、児島湾では、1700年代初頭から約100年間にわたり、干潟の漁業権等や備前・備中の国境をめぐって備中側(妹尾、箕島、早島等)と備前側(八浜等)との間で激しい紛争が続き、何度も徳川幕府の裁許を仰いでいます。幕府の最後の裁許が出される少し前頃に描き直されたとみられるこの絵馬には、願主である妹尾西磯の漁民たちの強い意志が込められているように思えます。』(案内板より)

狛犬。

 


 

 

 



手水舎。

 



手水口は、龍。

 

 



拝殿。

 



【御前神社 由緒】

 



「御祭神の吉備津彦命は第七代孝霊天皇(およそ西暦BC290年~BC215年)の皇子で
第十代崇神天皇(およそ西暦BC97年~BC30年)の御代に四道将軍の一人として吉備の国に下されこの国を平定された。その後、第十六代仁徳天皇(およそ西暦313年~399年)が吉備地方に行幸になった時、吉備津神社を建立し命を祀った。当社は、吉備津神社の摂末社七十二社の一社であり妹尾西磯の鎮守社として祀ったものである。創建は定かではないが、当社燈籠に「開闢(かいびゃく)神亀三(726)年春三月」とあり、聖武天皇(西暦724年~749年)の御代約千三百年前にはこの地に社殿が建立されていたことがうかがえる。また伝説によれば、吉備津彦命は汗入の沖で賊将梟帥(たける)をせいばいしたとき大風により船が転覆しそうになったが大亀に助けられた。やがてその磯の前の三つの小島に住吉三神を祀り、汗入の浜に豊玉彦命・豊玉比売命を祀った。その後現在の地に社殿を建立し吉備津彦命を祀ったとされている。現在でも、三つの小島の証として、境内には波に洗われた大岩・土中には多くの貝が現存する。」

本殿。

 



こちらの亀は「願い亀の御返納所」に寄進されていたものだそうですが、吉備津彦命が汗入の沖で大風により船が転覆しそうになった時大亀に助けられたという伝説もあるようですね。

 



お庭。