大学時代、私は授業をまじめに受けていた。
授業をきちんと受ける大学時代とは
なんてつまらないんだという人もいるだろう。
でも授業を受けていた理由は、
楽しかったから。
ただそれだけだ。
私は文学部で、専門は英語学(文法)だった。
けれど文学の授業も受けることができ、
私はどちらも楽しんでいた。
考えることが好きだったからだ。
この文法はこういう理由で起こっているという理屈、
この表現は当時のこういつ問題を受けているという分析。
大学院に行くかどうかは迷ったけれど、
私はずっと同じことを続けていくタイプではないし、
孤独に研究できるかというとそれは不可能だと思った。
結局就職したのだけれど、
それは正しい選択だったと今は思う。
就職したら、必要に駆られてマーケティングの基礎関係の本を読んで実践の中で学んでいって、
そしたら経営学って面白いなあと思い、
大学で経営を学ぶのも楽しかっただろうなと思ったものだ。
今行っていることをより深く知りたいと思い、
そして実際に学んでいくという繰り返しなのだ。
高校時代、もっと企業で働くことのイメージができていたら違ったのかもしれないと思ったけれど、
それでも文学部で学んだことは
大変貴重で有意義だったように思う。
普通の暮らしをしていて、経済・経営関係なら必要に駆られる場面もやってくるかもしれないけれど、
文学や語学談義などする機会はそうそうない。
それに文学部の検討には、たいてい答えがない。
いろんな文献に目を通しつつ想像力を働かせて考えて、
他の人の意見を聞いてさらに見識が広がって、
それを取り入れながら検討を進めていく。
いろいろな人のいろいろな考え方を素直に受け入れることができるようになったと思うし、
想像力が豊かな人たちは、人をみかけで判断せず、
深いところまで聞こうという姿勢をもってくれた。
優しい人たちだ。
最近は、学問に社会貢献を求める傾向にあって、それはとても残念なことだと私は思う。
もちろん自分の研究が社会貢献になるのはすばらしい。
私の行った学問なんて、社会貢献になるかといえば残念ながらなりはしないだろう。
けれど、豊かな視点をもつ人間を育成するという意味では、一役買っているはずだ。
それには即効性がなく効果が分かりづらいけれど。
それでも役にたつものばかりを選んでいくのでは、なんて味気ない人生になってしまうんだろうと思う。
