私たちは目でものを見る。

目がなければ色も形も見えない。

そう固く思って信じてる。

そうではないケースがあることを知ると、

「何かのまちがいだ」もしくは「例外だ」として忘れてしまう。

まちがいにしては実例が多すぎる。

例外にしても実例が多すぎる。

いったいどんな報告されているのか?

 

引用開始↓

「目を使わずに見る」・・・身体の他の部分で見る能力を持つ人々に関する報告は

続々と発表されている。
ハーバード大学医学部の臨床研究員である医師、デイヴィッド・アイゼンバーグは、

脇の下の皮膚の部分で字が読めたり色が識別できるという、

北京に住む中国人姉妹な話を最近発表した。

イタリアでは、神経学者のチェザーレ・ロンプロッソが、

鼻の先と左の耳たぶで見ることができる盲目の少女について調査している。

一九六〇年代、権威ある旧ソ連科学アカデミーは、

指先で写真を見たり新聞を読んだりできるというローザ・

クレショーヴァというロシア人女性のことを調べ、

彼女の能力は本物であるとの見解を発表した。

・・・クレショーヴァは、モノクロの新聞が、

熱したガラスで覆われていてもこれを読むことができた

・・・かなり有名となり、

ついに『ライフ』誌も彼女についての記事を掲載したほどである。

・・・私たちがものを見るのは目を通してだけと限られているわけではないとの証拠がある・・・

おそらく私たちは、

目を通してしか見ることができないと信じ込むよう、

あまりに深く習慣づけられているために、

・・・可能な広範囲の知覚能力から自分をさえぎってしまっているのかもしれない。p324〜325

1994年初版、2005年新装版第1刷『投影された宇宙』より引用。
この本の著者に感謝。
翻訳、翻訳版が発行されたことに感謝。
この本の存在を知らせて下さった方に感謝。
どれが欠けても私はこのような情報に触れることは出来ませんでした。

 

最近なんだか世界の政治家、日本の政治家たちの、

顔や様子や言動を見ていると、

彼らの意思決定で、自分の生活や運命が左右されるというのは、

なにげにかなしく情けない身の上と思われ・・

自分自身で決める生活のあり方・人生の方向性ということを、

いまいちど、しっかり心に持って、

彼らの言動にいちいち過剰反応しないよう、心がけたいと思ってる。