医者の宣告で二次災害が発生・・

自ら命を絶ったひと、じっさい少なくない。

どんなに気配りした宣告でも、

命を断つ衝動にかられるひとはゼロにはならない。

自殺を実行するに至らなくても、想像を絶するほどの苦しみ倍増。

災害は増えます。

苦しまなくても、日に何度、「あと〇日で死ぬんだ」と、

自分に言い聞かせるかって生活になります。

家族も周囲のひとも、「あのひとはあと〇日で死ぬ」と、

かたずをのんで構えてる・・

病院の医者も死の日程を踏んでるような振る舞い・・

周囲から「あのひと死ぬぞ死ぬぞ」と思われながら、生活を楽しめますか?

 

「この治療で〇か月追加で生きられるかも」などと提案されると、

もう医者の指示に従って生きるほかないでしょう。

医者の言いなりで、医者の采配で、自分の人生が決定されていく。

治療の時間のほうが、自分の時間よりも増えていく。

医者や、病院の治療にくわれていく貴重なさいごの時間・・

 

ひとは医者の宣告に耐えられないし、もともと根拠のない宣告です。

医者自身はたくさんの実例でそのことを熟知してるので、

興味があったら近藤誠先生の『余命3か月のウソ』をおすすめします。

「自分は検査も受けないし、医者に相談もしない」と心に決めてる医者は、

一般人の予想をはるかに越えている。

そして実際に何ら困ることもない・・むしろその逆のようです。

死ぬのかなと感じても時間の経過とともに回復してきたら、

「ああまだ死なないんだな・・」ってことですし、

死にはせんだろうと思ってて、回復しかけたとたんにガクッと衰弱、

そこから再び回復かと思ったらガクガクッと衰弱といったような感覚があり、

結果的に死に至った場合にはじめて、

「ああ、あれが最後だったんだ」ってことになる。

 

結果を見ないとわからないと医者が言ってる。

元東大病院救急部長だった方が、インタビューでも著書でも述べておられる。

しかしじっさい宣告を受けたひとがその通りになってしまうことがある・・

ことだまっていうか、言葉による呪いのようなもので・・

てきとうに言われたことでも、宣告を受け取った側が固執してしまう。

セカンドオピニオンでべつの医者に、

「死なないと思いますけど・・」なんて言われても、

最初に受けた宣告のダメージは深いのです・・

「二番目の医者はああ言うが、どっちが正しいかわからないじゃないか・・」

「医者はウソをついてるかもしれない・・ほんとは死ぬんだ・・」

ノイローゼになることがわかっているので、

医者は医者から宣告を受けることを避けることもあります。

宣告の呪いを甘くみてはいけないのです!

元東大医学部で教鞭をとっていた養老孟司さんも、

「あれは占いといっしょ」って言いますね。

占いを見てしまったら、占いなんか信じないひとも深層意識で信じてしまう。

聞いたらもうほとんどダメらしい。

宣告にとらわれて、あっという間に死んでしまったケースを、

何例か自分も直接に見聞きして、どう説得しても、どう話をしても、

いったん染み込んだものを拭い去ることはほぼ不可能・・

「洗脳ってほどけないもんだな」と思う。

なので私自身も養老先生を見習って、ほんとに体調がヤバいときには、

ぜったいに病院には行かないし、医者の顔も見ないと決めてます。

 

じゃあどうするんだってことですよね。

自分は操体法やってますから。自動運動だってやってますよ。

そしてこの30年、どんなトラブルに見舞われたさいにも、

操体法と自動運動だけで切り抜けてきた。

日ごろの練習問題できたえてきました!

年を重ねるごとに質・量ともにハードル上がってくるので、

これからも訓練は続行です。

ひとは言葉でウソを言う・・

ウソのつもりじゃなくても間違い・カンチガイを平気で言うからね・・

でも私の体って黙って私に尽くしてくれる・・

24時間365日、尽くしてくれているから自分はこうして生きてられる。

だからね、一生に一度しかないイベントだもの、

予告くらいちゃんとしてくれるっしょ!

 

↓↓どんなガンも2、3か月で治るとはっきり言うお医者さん。

  肺への転移がぜんぶ消えたり・・

  治ることをやれば治るが、治らないことやってくと・・