今年は行けたよ、ミヤマキリシマの九重。
天候よい日は用事で行けず、用事のない日は天候がくずれ、
タイミング合わないまま、ついにこの日を迎える。
これを逃すと雨が続き、花が終わってしまう・・!
同じ目的のひとは同じことを考えるので、
登山口駐車場とその付近は各地から集まった車であふれてて・・。
山に来たくないひとは基本的に来ていない。
年に一度のミヤマキリシマともなれば多少の気合いもある。
ひとびとの喜びに満ちて、山全体が輝いていた。
互いに声をかけあってゆずりあい、あいさつするたびに、
喜びの気持ちまで伝わってくる。
自分もいつしか笑顔をふりまいている。
山の好きなひとは、山にいれば機嫌がよい。
牧ノ戸登山口のさいしょの20分、
ひたすらコンクリートの坂道を登り続けます。
ここを苦行にするかしないか、ですね。
自分は脚を疲れさせたくないから、
腰をゆるめたり、途中で足踏みを入れたり、後ろ向き歩きを入れたり、
慎重に慎重を重ねる。
心配して声をかけてくださる方もおられますが、
ここで対処をまちがうと苦行の一日となってしまう。
急坂を上りきったら展望のひらけた場所に出る。
そこまで行けたらラッキー、くらいな気分でじゅうぶんな時間をかけた。
展望所から見るパノラマ、標高すでに千メートル越えている。
ここだけでじゅうぶん楽しめる。
ゆっくり休憩とりながら脚の状態を点検し、沓掛山の登りに向かう。
岩場のほうが不規則な動きになって、むしろラク。
沓掛山の頂上から、さらに全体の状況が詳しく見える。
カメラを持った方の話によると、今年は花が少ないとのこと。
星生山がいちばんいい、扇が鼻は少ない、九重の赤川方面の斜面がすごい、
など下山のひとからの情報が詳しく伝わってきて。
ほかにも個人的な話なども聞こえて、ごった返してる。
「今日は登山者多いな」「そりゃ天気が今日だけだから」
誰もいない山を独り占めっていうのもいいけれど、
同じ電車に乗り合わせたかのように、
同じ山を老若男女と共に過ごすというのも私は好きです。
沓掛山の頂上を踏み越えて先へ進む。
後ろから来る登山者が増えてきて、道をどんどんゆずる。
学校の遠足の生徒たちもいます。
どれだけ多くの人が訪れても、だだっぴろい九重連山。
自分は腰が固くなってきて、首も固まってきて・・。
こまめにゆるめて休ませて、今日はどこまで行けるかな。
追い越してった人たちとは先の休憩スペースで再会する。
グループ登山は会話して写真撮って飲み食いしながらなので、
歩くのに専念する自分とさほど変わらないペースになるようです。
ウサギとカメの小さな繰り返し、ですが、
自分は疲労の回復が次第にむずかしくなってくる。
ムチウチ以降はそんなふうですが、
こまめに対処してる限りにおいて、まだまだじゅうぶん楽しめます。
誰に追い越されても、もう何とも思いません。
体力のあるひとはいいなとか、自分もああだったのにとか、
これから先どうなるんだろうとか、そういう雑念がなくなっている。
山は、自分さえよければどう楽しんでもいいんだと、
すなおに思う自分がたのもしい。
結果的には扇が鼻分岐まで歩いた。
頂上に向かって踏み出したとたん、両脚がやけにだるかった。
今までの自分ならムチ打って頂上を目指すところだが、
そうすることに何の意味があるか。
記録をつくる山歩きじゃないのなら、記録より自分優先で。
「頂上を踏まないと登ったことにならない」というルール、
もう自分には関係ないですね。
いやよくここまで体が動いてくれた。
久しぶりの長時間で脚もびっくりしてるでしょう。
下山路で「あのとき引き返して正解だった」と何度思ったかわからない。
長い長いさいごの急坂までたどり着いたとき、脚に異常事態発生。
あわてず騒がず肩・首のコリをゆるめて腰をゆるめて、・・
ストックを使いながら後ろ向きに下ることにしました。
やったことある人はわかると思いますが、
下り坂って、後ろ向きに下るとヒザの負担はほぼありません。
多少の慣れというか技術は必要ですが、
周囲にひとがいないことを確認しながら、
時間はかかりますが、ちゃんと下まで安全に降りれます。
ダメージを少なくしたい、ただその一念です。
今回の九重歩きは息を荒げることもなく、
あせったり、追い詰められた気持ちにもならず、
ただたんたんと、体の歪みを修正しながら歩きとおすことができました。
還暦に久住山の頂上を踏む。
そんなチャレンジングな計画を考えてた時期もあったけれど、
目標を先に決める必要もないんですね。
「今日の自分は、どのあたりまで行けるか」
「来年の自分なら、どのあたりまで行けるか」と、
軽い気持ちで楽しめるようになったのは成長だと思ってます。