踊れ 誰も見ていないかのように
恋せよ 傷ついたことがないように
歌え 誰も聴いていないかのように
働け 金が必要でないかのように
生きよ 今日が最後の日のように
(アルフレッド・D・スーザ)
このような詩を見つけて感動いたしました。
牧師さんの書いた詩の一部抜粋らしい。
ひとりひとり大切な日常があり大切な人生がある。
誰にケチをつけられるいわれもない。
だから自由に考えて自由に生きてよいでしょう、
と声をかけられる思いする。
ここ1年くらい真逆の情報がガチンコで、
何がよいやらわるいやら気持ちがさっぱりついていかなくなって、
自分の中で次第に積もっていく沈黙・・。
幸せは旅であって目的地ではない…かぁ。 : 佳田亜樹の悪戯書き (exblog.jp)
いよいよこれからよい時代がやってくるんだという情報と、
グッドニュース・バッドニュースどちらにも心の備えをと思うけれども、
そう器用にはいきませんね。
自分にわかることといえばただひとつ。
どちらも自分の感覚でとらえた直接的な情報ではない。
自分の判断の及ばないところで、誰かがどこかでそう言ってるというだけです。
自分個人の努力ではコントロールできない流れもあるでしょうし、
そんな妙に力む必要なし。
ヘタの考え休むに似たりっていう。
ヘタな考えで行動に走る気にもならない。
考えても疲れるだけなら黙って見ていよう。
悲観もせず楽観もせずに踏みとどまろうと思う。
ありがたいことに自分も自分の周囲も以前と変わりない。
確実なことがわからないまま動いてることはあるけれど、それは表面だけ。
誰にも確実なこと言えないんですよね。
どう見るか、どう考えるかは自由。
それなら自分は注意深く見ていよう。
ちゃんと見てれば、いずれ答えが見えるときも来る。
答えが見えない人間に、何が正しいか判断することなんか、できっこないしね。
答えを待ってるあいだにも大切な日常が自分にはある。
それ以上なにを望めばいいというんだろう。