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ずっと前に読んだオシムの本に面白いことが書いてあった
オシムさんはリスペクトという言葉を「相手を敬う」という意味では使わず、「相手のことを知る」という意味で用いていると書いてあった。
相手のいいところも見るし、悪いところも見る。だから、総合評価としては、マイナスになるかもしれないと語っていた。
最初に読んだときは良く意味がわからなかった。
オシムさんは、サッカーの監督。自分の受け持った選手の長所と短所を把握していけないといけない職業だ。
この職業なら、相手の悪いところを見ないといけないし、それを指摘するのも仕事のうちに入るだろう。
でも、よう考えたら、昔、知り合ったばかりの人に「かーるすさんはしっかりして偉いですね。尊敬します」と言われたときに全然嬉しくなかったことを思い出した。
最近も、付き合いの浅い人に「私なんか子供なんですけど、かーるすさんは大人ですね」と言われたけど、嬉しくなかった。
「私なんかは駄目なんですが、貴方は凄いですね」
こんなん言われても嬉しくない人は世の中のひとの多数を占めてるんじゃねーかな。
俺は初対面では、そこそこ印象がいいらしいが、しばらく付き合っていたら、天然なのがわかってしまう。クセが強い人間なもんでね。失敗、失態は日常茶飯事だぜ。
俺の身の回りのひとならしっかりしているとか大人とか使わんはずだ。
俺のことを「しっかりしてる」「大人」と言った人は、俺をよくみらず、勝手なイメージを持って、こういう人と決め付けてきたもんだから、俺もいい気分がしなかったということだな。
それでは、オシムさんがいう、リスペクトを俺ができているか
どうだろうかな
周りの人のこと、俺が知っているか、見れているか