2021年8月31日20時00分、とうとう天神イムズが閉館を迎えた。
1989年の開館から32年での終焉となった。
  


 


近年、天神は激変の一途を辿っている!。
ビブレ天神や天神コア、福ビルなど、かつての天神を彩った商業施設が次々と閉館していっている。


天神ビッグバンなどと言われるこの大変貌は今後も続くようで一体どうなってゆくのであろうか…と考えてしまう。

さてイムズといえば、壮観なまでの吹き抜けと、それを眺望出来るエレベーターなどが有名というか、特徴である、私も初めて見た時はその見事な眺めにただ驚くばかりであった。

 当日の閉館直前には、コロナ禍にも関わらず沢山の方が訪れて、名残を惜しんだようである。
私も出来れば閉館直前で無くても良いから訪れようと思いつつ、とうとう行けないままに、閉館を迎えてしまった…。
私にとって天神で最も思い入れが強いのは、天神コアであったが、こちらも結局閉館前に訪れられず終いであった…。
 


 ※昔日の天神バスセンターと西鉄大牟田線天神駅
、バスセンターの中にあったやりうどんで、よくうどんを啜った頃が懐かしい!



 



私のような古い者にとっては、三越さえ新しいと思ってしまう…三越以前の岩田屋や、天神バスセンターで食べた、やりうどんの丸天うどんなどが懐かしく思い出されるが、そんなものが存在していたことさえ今の若い方はわからないであろう…、勿論それが当たり前なのだ!
イムズは平成が始まったのと同年に開館した施設なので、比較的新しい施設だと思う…しかしその施設さえ僅か32年で幕を下ろすという、その移り変わりの早さについていけてないことが既に年をとったということなのかもしれないと思う今日この頃である。
確か1990年くらいの出来事だったと思うが、私の友人にN中君という人がいた。
彼は大学卒業後VSQというテレビ制作会社に入社した…そのN中君から、TNC(テレビ西日本)のバラエティー番組の一般素人参加コーナーに出て貰えないか…と頼まれた、参加者がうまく集まらずどうしても1人出演者が足りないので何とか頼む…と言われた。
その番組は確か、シンデレラ・ナイトという深夜番組で、3人の男性が1人の女性にガラスの靴を差し出して、僕と付き合って下さい!と告白?するという、当時流行った、とんねるずさん司会のねるとん紅鯨団の類似的な番組だったと記憶している。
 

https://tarekomipress.jp/
友人も入ったばかりのTV制作会社で色々大変だったようなので、【まあいいか!】な感覚で私は参加を快諾した。
てっきり私はその収録は高宮(当時.TNC本社は高宮であった)でやるのだろうとばかり思っていたら、何とまだ開館間もないイムズのスタジオで行われるのだと言われてびっくりしたことを憶えている!。
司会はこれまた福岡よしもとができたばかりで、デビュー程ない鶴屋華丸氏と亀屋大吉氏…そう今の博多華丸・大吉の両氏である。
当日、何をやったかなどは遠い記憶で失念した部分が多いが確か芦屋雁之助さんのモノマネか何かを私は披露して女のコの気を引くようなパフォーマンスをしたように記憶している…まあ結果は勿論、見事に私は玉砕であった…まあもう時効なのでぶっちゃけさせて頂くが、エキストラ代?ということで1万円の出演料がでたので気分的にはちょっとしたアルバイトみたいなものであった!
※まだデビュー間もない華・大コンビ!…御本人達には申し訳ないが…まさか現在のような全国区タレントになるとは夢にも思わなかった!
  
その番組に一緒に出た3人のナイトと、当時番組などを盛り上げる集団?で常に一般見学席に7~8人位で陣取っていた、よく分けのわからない番組親衛隊?的なヤッホー隊と呼ばれる連中の一部と番組終了後、中央区のキリンシティというパブで、いわゆる反省会的な飲み会をしたのが記憶に残っている。
因みにこのヤッホー隊と言われた人たちは、やたら番組収録中に「ヤッホー」を叫んでいて、それが放送にのるのを楽しみにしてるという…??よくわからない連中だったが、どうやらテレビ局側の仕込みの人たちのようであった…まあ、なんとも色々な面でまだ緩やかな時代であった…と言うことであろう(笑)。

私的にイムズの思い出といえはばこのテレビ番組に参加したのが一番の思い出である。
何にしても平成が始まって間もない頃で、まだギリギリでバブル景気の中であった…今となっては恥ずかしいような、でも楽しかったようなイムズでの思い出となっている
何れにせよあの壮観な吹き抜けも、見れなくなると思うと淋しい限りであるが、兎に角、
関係各位の方々には、32年間お疲れ様でしたと…そして有難うと言いたいところである。