失敗体験を語れるようになること

新年早々にこんな話もどうかと思うけどもうすぐ卒業シーズンがやってきて、ゆとり教育が染みついた若者たちの大量排出の春が現実にやってくる。多くの30代後半以上の人々は戦線恐々としていることであろう。
20年近く前だったかな・・・。とある首都圏の幼稚園の発表会で園児全員がシンデレラ役を演じるというそれは奇妙な発表会があったと記事になったのは。その記事を読んで我が目を疑ったことは忘れもしない。そうしているうちに、運動会の徒競走では順位をつけることをやめ、しまいには試験の学年順位までも本人に通告することもやめてしまったというのだ。子供を溺愛するが故の親たちのクレームに端を発したものだったようだ。その時は困った親たちが増えたもんだなぁというくらいにしか感じていなかったのだが、今考えてみればそうだよね、甘えさせて育てればこんな仕上がりになるのは当然といえば当然である。ゆとり教育も同じなのである。授業の時間だの、科目数を減らすだの、内容を大幅に変更するのも結局は親たちの教育方針に屈しただけなのである。
つまりはゆとり養育とは、言い換えるならば「失敗させない教育」「競わせない教育」「負けさせない教育」なのである。将来いい高校、いい大学、いい会社に入れたいという親たちの気持ちは理解できるが、我が子を溺愛するが故、その理念に反して明らかに世代間ギャップのあるか弱い人間形成をした皮肉な結果なのである。人間も所詮動物で、失敗や競争や勝ち負けを通して社会の中で生き抜く打たれ強さを身に付けていくのである。時には涙を流し、時にはこんちくしょ~と歯を食いしばる体験は、ちゃんと狩りをして自分で餌を捕獲できる成獣になるよう動物の親でさえ本能で躾ける貴重な経験なのだ。
それを社会のシステム自体で抑え込んでしまったのがゆとり教育なのである。だがしかし、全員がそうというわけではない。びっくりするくらい立派な若者もちゃんといる。親の顔が見てみたいとは昔はよく言ったけど、現代は逆の意味で見てみたい。きっと立派な親御さんなんだろうな。こういう現実をみると今問題になっている以上に彼らの世代も将来大きな格差がつくのが容易に推測できてしまう。
とにかく、こういう世代を強者とまではいかなくてもきちんと社会に通用するようにできるのは、まずは親なのである。いつの時代も「愛情」と「溺愛」を決して混同してはならない。今回我々はゆとり教育の結果を目の当たりにすることによって、どの世代にもいえる大切な教訓を再認識することが出来たのではないだろうか。


ゆとり教育が日本を滅ぼす (Wac bunko)
櫻井 よしこ 宮川 俊彦
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