死刑にするだけでは何も解決しない

オウム真理教の裁判の終結により13人の元幹部に死刑が確定する見通しになったことを受け、被害対策弁護団など3団体が21日、東京都内で記者会見し、教団元代表の松本智津夫死刑囚(56)以外の元幹部12人については死刑を執行しないよう求める声明を出した。これにより再び死刑制度廃止論が久しぶりに再燃し始めた。死刑にするだけでは何も解決しない、事件の再発防止のためにも証言をさせるべきだと異例の会見を行った。これって結構勇気ある画期的な問題提起なんじゃないかなと思う。被害対策弁護団が6500人を超える被害者の意見を取りまとめた一つの方向性として一致した意見であるということが非常に大きい。そして死刑制度の廃止か存続かってだけの感情的議論の合間に一つの線引くきっかけになるのではないだろうか。
個人的には死刑制度というか、死刑執行そのものは反対である。要因は二つ。人の命の尊重。人が人を殺してはいけないから法律があるんだということ。そして、冤罪の防止。死人に口なしで、後戻りの出来ない判決は非常に危険であるということである。歴史的背景を見ても死刑制度自体は犯罪の抑止力にはならないことは証明されているが、一方では被害者感情も尊重しなければならないことは理解できる。ここでやはり大切なのが死刑制度と死刑執行そのものを切り離して考えることも必要になって来るんではないかと。リビアのカダフィ大佐は長い独裁政権のもと一部の国民に対し虐殺行為を行ってきた。その挙句国民に殺害されることとなったが、この行為そのものは許されるのだろうか。この行為は法の下でなら死刑と表現され、その一方では殺人となる。イラクのフセイン元大統領も同じである(法の下の死刑執行ではあるが)。そうすると松本智津夫死刑囚は同じ位置図けになるというのだろうか。今回の被害対策弁護団の声明は、大量虐殺を行った首謀者で、冤罪という条件が完璧に無く、被害者感情を尊重した場合、カダフィ大佐やフセイン元大統領の事例をあてはめて考えていった経緯があったのではないかと。今回の声明はそれだけこれからの死刑制度に対する考え方や判決や死刑執行の是非に大きく影響を及ぼす新たな判断材料になるのではないだろうか。

死刑のある国ニッポン
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金曜日
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