若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ~「絶望の国の幸福な若者たち」著者インタビュー


先日の東京でのデモ「オキュパイ・トウキョウ」を覚えていらっしゃいますか。報道も結果的に少なかったが、他人事と無関心な人間のほうが多かったのが事実なんではないかな。リビアやエジプト、ギリシャ、ニューヨークのように結局デモは大規模化することはなかった。実はこれこそが今の日本の現状を縮図のようにわかりやすく表現している。確かに若者は不満を抱いているし、多くの年齢層で国民は不満を抱いている。だけど、その矛先がはっきりとしないただ漠然と抱いた満足しきれないというだけの不満を。つまりは心の中の大部分は満足で占められていて、幸せであることのほうが多いのである。
現在の日本は経済格差や多額の国債は抱えているものの、バブル時代を引き合いに出さない限り過去最高に豊かな時代であるという証拠なのだ。食べ物や住むところ、ファッションやエンターテイメント、極端な贅沢を言わない限り多くの国民はほぼ余すことなく享受できる時代になっているということである。もちろん生活保護や高齢者、障がい者に対する政策はもっと充実しなければならないが、昨今叫ばれる所得の再分配は前者に行われるべきものでなく、後者に行われるべきものである。所得格差の是正、自分たちは99%側の人間だなどと叫ぼうとも、今に始まったことではなく資本主義社会を選んでいる限りこういった現象はいつまでもついてまわるのである。
今の日本の社会は豊かなのである、働かなくとも立派な家に住まわせてくれる両親がいる引きこもりや、ただ何となく転々とアルバイトをして生きていける社会が出来上がっているのである。一昔前テレビで見た憧れの国に追いつこうというバイタリティーはそこにはもうなく、見ていても諦めや所詮異国の出来事とばかりに無関心になっている人たちが相対的に多くなっているだけけなのだ。これこそ、豊かな社会から生まれる副産物なのである。
ただし、これらの現象は養ってくれる家族や社会や国家があってこその豊かさである。栄枯盛衰。いつまでもあると思うな「親」と「金」。いずれは自分たちが社会を支えるだけでなく、牽引してゆかなければならないという、ほんのちょっと先に見える、確実に待ち構えている現実に目を覚まして欲しいものだ。



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堀江 貴文
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