大相撲秋場所の番付が発表されましたね。




と、言っても別に相撲にそこまで興味があるわけでもないんだけど、何ヶ月か前、彼女を知ってからは割と興味を持っている。

溜席の妖精。

名前は知らない。いつもマスクしているので素顔も知らない。

何ヶ月か前のある日、実家に帰って、たまたまついていた相撲中継を見ていたら、その人はいた。割とよくテレビに映る位置の席に、白いワンピースを着て背筋を伸ばした、なんだか目を引く女性が。

「なんか、すごい人いるね」
親「あの女の人やろ?毎日おんねん。
  いっつも綺麗なワンピース着て
  ピシーって座ってはんねん。
  ネットで検索してみたら?多分有名やで」

そこで「相撲中継」「女性」程度のキーワードで検索してみたら、出るわ出るわ、山のようにヒットした。

今は判明しているのかもしれないけど、その時は正体不明とのことだった。平日だろうと毎日のようにいるので、恐らくタニマチのお嬢さんではないか?と推測されていた。

多くの人が、いつも清楚(おそらくハイブランド)なワンピースに身を包み、姿勢良く座り、熱心に取組を観戦し、所作の美しい彼女に興味津々。誰が呼びはじめたか、自然と、溜席の妖精という呼称が定着していっていた。




何だか感動してしまった。

彼女はただ、相撲を見ているだけ。

もちろん、場所が開催している時は毎日のように観戦でき、かぶり付きの良い席が取れる、という、(恐らく、タニマチできるほど裕福な家に産まれた?)時間的経済的なアドバンテージは多分にあるとして。

相撲を熱心に見ている、と言うだけでこれほどの人に興味を抱かせることが出来るんだな、ということに。本人は何も言っていないのに、自然とそんな二つ名がつくということに。



今はそう名乗る人も増えたように思うけれど、
テレビウォッチャーと名乗って、なるほど!この人は確かにそうだ、と思うのはなんと言ってもナンシー関。
コラムニストとか消しゴム版画家という肩書きもあるけど、なんといっても彼女はまさに、著作のタイトル通り、テレビの鬼だった。

家にはテレビが何台もあって、ビデオデッキ(当時のことですから)も何台もあって、起きている時間のほとんどはテレビを見るかテレビ批評のコラムを書いていて、たまにテレビ出演の依頼が来ても「実際に(芸能人などに)会ってしまうと、思うように批評が書けなくなるから」とだいたい断っていたらしい。

そして、テレビに出ているあまたの芸能人、スポーツ選手などの本質を見抜き、時には予言者か?と思うほど将来を言い当てたコラムをたくさん残して早逝した彼女。

今年で、なんともう没後20年になるらしい。
私は今はほとんどテレビを見なくなってしまった。
でも、芸能界、有名人界隈に何かあると(例えばよく分からない人が急にバンバン出始めたとか)
「今、ナンシー関が生きてたら、なんて言ったかな」
と思う。そしてそういう人は、没後20年の今でも沢山いるらしい。Wikipediaにそう記載されるほどに。

影響を受けたんだろうな、イヤむしろ芸風パクり?というコラムニストはたくさんいるけれど、彼女ほどの観察眼、切れ味、ユーモアがある人はいない。あれほどテレビを見る、ということに真剣に向き合った人はいない。

「私は見えるものしか見ない。
 しかし、目を皿のようにして見る。そして、見破る」

とは本人の弁。

なるほど、真剣に見るとはそういうことなのだな。
私は目に見えない世界の話が好きだけど、それは「目に見えない」と思っているだけで、それに甘えているだけで、実は大半のことは目に見えているのかもしれない。目を皿のようにして見ていないだけで。

没後20年、傑作選が出たようです。






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