「脳と回想と関目」その18 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

めちゃイケの最後の日本一周の時に、ナイナイの子供時代の話が。

矢部さんが瓶を集めて小遣い稼ぎをしていたという話が。

 

確かにそういう時代はあった。

10円やったか20円やったか30円やったか、思い出せないがそれぐらい。

 

酒屋が瓶を回収したら、返金があった。

当時はペットボトルなどなく、ガラス瓶で売ってる方が多かったので。

 

ジュースもガラス瓶で売ってる方が多かった。

コーラやスプライトやファンタ、またスコールはガラス瓶だった。

 

だから、瓶の飲料水を買って帰る。

で、飲み終わったら、買った店に瓶をもっていき、小銭をもらう。

 

 

 

 

関目冷菓でも昔はそうだったんじゃないかなあとかすかな記憶が。

うちは酒屋が引き取ってくれるので、瓶集めで小遣い稼ぎをしたことはなかった。

 

同級生は何人かがやっていた記憶がある。

そんな話を聞いたことがあるので。

 

だが、ガラス瓶はダブルソーダの当たりより、数の管理がしやすい。

売ってない飲料水はもちろん、返却の瓶が予定数ならそれ以上は引き受けない。

 

買ったところに持っていくのが、通常なんだが、小遣い稼ぎだと話は変わる。

要はタダで拾ってきて、それを売るというやり方だからだ。

 

数十円でも駄菓子が買えるし、100円ならたこ焼きやイカ焼きが買える。

150円なら野菜焼(粉もんで野菜が挟んである)、200円ならハンバーガー。

 

昭和40年代後半は、鍵っ子でなければ子どもだけで外食する機会は少ない。

だから、買い食いは小さな冒険であり、そのためならという牧歌的な時代だった。

 

 

 

その19につづく。

 

 

→ 「脳と回想と関目」その1

 

→ 「脳と回想と関目」その17