葉タバコ文化が「たばこ祭り」へ | 福森真司「夢を実現へ!」ブログ

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秦野は古くから煙草耕作で栄え、発展してきた歴史があります。秦野における煙草耕作の起源には諸説ありますが、江戸時代初期の宝永4年(1707年)の富士山噴火により、秦野の耕地がやせ細った土地に一変したものの、葉たばこの栽培は可能であったことから、盛んに煙草耕作が行われるようになったとされています。
 江戸時代後期には、秦野葉の名で広く知られるようになり、後に薩摩(鹿児島県)、水府(茨城県)とともに「三大銘葉」の一つに挙げられるようになり、大正から昭和にかけて全盛期を迎えました。
 しかし 、高度経済成長以降、嗜好タバコが人気となり生産が低調に。そして葉タバコは昭和49年を最後に紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種の生産へ移行したもののかつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も廃止され、秦野の煙草耕作は終焉を迎え、今ではタバコ自体の生産自体が激減しているものの、その歴史や文化の伝承は現代に於いても続いています。