友へ。


元気ですか。


こころの友は今日も来ました。


イエス様は洗礼を受けられ、断食をされた後、いよいよ故郷ガリラヤに帰られ、伝道を開始された。


          伝道開始の御言葉


       主の御霊が私の上にある。


     油を注いでくださったからである。


 主は貧しい人に福音を伝えるために私を遣わされた。


   囚人を赦免を、盲人に視力の回復を告げ、


   押さえつけられている者に自由を与え、


   主の恵みの年の訪れを告げさせるために。

   福音を奏でる牧者-明日も陽は昇る


              明日も必ず陽は昇る


友へ。


また明日、来ます。


こころの友。桑原康彦より。


2010.8.31.












友へ。

元気ですか、悩んで落ち込んだりしてないかな。今日もファイト、ファイト!

昨日は水の洗礼について、書かせてもらって、いつも謙虚でへりくだる姿勢でいよう、と言わさせてもらいました。今日はね、こころの本心ということについて、書きます。

イエス様は洗礼を受けられて清められた後、すぐに荒野に退かれ、宣教活動の最終準備として、断食をされ身を清め、ただひたすらに祈られた。神の御旨の成就を。そして、サタンの誘惑に逢われた。

断食が終わろうとした、貧しさ、飢餓の極みの最後の日、サタンの声がした。「石をパンに変えよ」

そして、イエス様は福音の声を発せられた。「人はパンのみにて生きているのではない。神の口から出る、ひとつひとつの言葉で生きる」そう言って、誘惑に勝った。

さらにサタンはイエス様を山の頂に連れて行き、言った。「わたしを拝むなら、この眼下の地上の世界の安楽と栄華と繁栄の権能を与えよう」イエス様は福音の声を発せられた。「退け、サタン!主は神のみ。

私は主なる神にのみ仕える」そう言って、誘惑を退けた。

食物には絶対してはいけない石を神は決して食物に変えて与えたりはしない。それを成し得るのは「金」の力である。またひとは金だけの力で得たパンだけを食べて満足し続ける生き物ではないよね。

イエス様は肉体よりも精神性を優先して、こころからでる言葉を大切にしようと言っている。

でもこのようなイエス様とサタンの出来事は今の私たちの日常生活でも起こっていることだと思いませんか?生活のお金のためにしかたなく辛抱しているけど、本心は違う。食べていけたらそれでいいかなあ~と思いつつ、本当はこうやって生きたい!と思っているがあるでしょう!

人生においてお金をめぐっていろいろな局面に遭遇し、みんないろいろ選択をして生きていっているんだけど、自分の本当のこころからでる言葉、行動、夢、そんなかけがえのないもののためには、気持ちのこもらないお金だけの世界をはっきりと拒否する力が大事だよね。

その拒否する力を奏でていれば、拒否したために今現在の生活はくずれても、いつかきっとかけがえのない夢が実現するよ!たとえ、ささやかな夢であってもいいじゃない。夢がなんにもない大きな世界より。

友よ。

夢を決してあきらめず、ひとつひとつの選択を大事にして、自分の本心に立ち返ろう!

こころの友。桑原康彦より。

2010.8.29





友へ。

昨日はブログデビューの挨拶をして終わりました。

さあ、今日から、少しずつ福音を奏でて、友と一緒にこころに証を立てていこう!

まず初めに必ず、伝えたいことは、水の洗礼のことです。

イエス様は洗礼宣教なさる初め、まずご自身も洗礼を受けられた。水の洗者ヨハネから、水を身に浴びられ、ご自身を清められるところにへりくだられた。

洗者ヨハネの足元にひれ伏し、ひざまずき、頭を垂れて、水の浸しを乞われた。

それは単に物質的に水をひたして体の表面を洗う、という行為ではなく、水の精をこころの中に染み渡らせる。ということ。

水の精、それはこの地においては低き低きへ流れ、へりくだっていき、地を清めていく。

ついには海に帰り、そして太陽の光を浴びて上昇し、風となり、雲になり、再びまた地に降りおちる。

この水の精のように人のこころも生きてゆかん!とするこころがまえを持つ。ということ。

この時の初めの水の洗礼は日々の日常生活でもできると思う。

毎朝の洗顔時の水による洗浄を人々はする。それを単に皮膚の洗浄としてではなく、こころの洗として、日々、意識して行うことができると思う。

毎朝、水の精に感謝し、水の精のように謙虚にへりくだり、人々に仕えさせて頂くを思いめぐらしながら、洗顔をする。洗顔の際、必ず人は頭を垂れるもの。そのこころを一日、持たさせて頂く。

最近、医学的にも水の効用は指摘されています。血液さらさらのため、便秘解消のため、一日2リットルの飲水がよいとされている。でも医学のいう科学的な水の効用よりまず大切な、水のこころを頂く。

そのことが大切なことだと思う。

友へ。

水に感謝し、水に親しみ、水のように低く謙虚に毎日を共々に生きていきましょう。

こころの友。桑原康彦より。

2010.8.28.