Derek & The Dominos - Layla & Other Assorted | NOTRE MUSIQUE

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Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Derek & The Dominosエリック・クラプトンが結成したデレク&ドミノズの1971年の名作で上記タイトルに入りきらなかった正式なタイトルは"Layla & Other Assorted Love Song"、邦題は"いとしのレイラ"。
クリーム時代はインプロヴィゼーションの極限まで極め惜しまれつつもクリームを解散させたクラプトンであったが、解散後ブラインド・フェイスを結成するもアルバム1枚で解散。その後アメリカに渡って作ったのがこのドミノズであり、彼の生涯を通しても代表作となったこのアルバムが生まれた。渡米しデラニーアンドボニーのメンバーやレオン・ラッセルといったアメリカ南部のスワンプと呼ばれるロックをやっているアーティストと出会い、彼の音楽性は南部志向へ傾斜。カール・レイドル、ジム・ゴードン、ボビー・ホイットロックらとこのドミノズを結成。結局このドミノズは一年で解散してしまい、残されたのはアルバムはこの一枚のみとなったが、歴史に名を残す名盤となった。
この中からタイトル曲の"いとしのレイラ"が大ヒットを記録しているが、当時クリーム時代のクラプトンのファンたちはその方向転換に相当戸惑った。クラプトンというとクリーム時代の激しいインプロヴィゼーションを繰り広げるスローハンドの異名を持つギターの名手であったが、ここで聴かれるのはそれとは180度方向性が変わった音楽で、どちらかというと曲自身の良さに重みをおいた歌手としてのクラプトンがいた。クリーム解散後にこうしたクリームと正反対の音楽を辿ったということからもクリーム末期にクラプトンの精神状態がひどく落ち込んでいたことがわかる。今でこそクラプトンというとグラミーにも常連で様々なシングルヒットを飛ばすロックスターの大御所となっているが、この当時はジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に3大ギタリストと呼ばれるなど、とにかくギタリストとしてのイメージが強く、このアルバムリリーズ時はクリームファンから批評されたり、賛否両論を巻き起こしたのである。
アルバムの1曲目の"I Looked Away"から南部のゆったりしたオーガニックなサウンドでクリーム時代には聴けなかった自然体のクラプトンサウンドが展開される。2曲目の"Bell Bottom Blues"は今でもステージで演奏される曲で、南部の暖かい雰囲気を感じさせる美しいバラード。コノアルバムは現在はCD一枚に収まっているが、LP時代は2枚に分かれており、2枚目の"Tell The Truth"から"Why Does Love Got To Be So Sad"、ジミ・ヘンドリクスの"Little Wing"と徐々に南部の情景を脱構築させ、そこから新しいクラプトンのロックスピリットが再形成されていく。そしてハイライトはやはりタイトルチューンの"いとしのレイラ"、後に妻となる親友ジョージ・ハリスンの妻に対する恋心と、好きな女に自分を理解して欲しいと懇願する男の悲痛な悲哀を歌った曲である。恋多きクラプトン自身の姿を重ねながらひたすらストレートに自分の気持ちを歌に託しており、辛辣過ぎるそのメッセージからはダイナミックなサウンドとは裏腹に憂鬱さすら感じさせる。クラプトンの音楽の根源には常にブルースがあり、このアルバムでのスワンプロック、その後のレゲエの吸収やアコースティックで繊細なサウンドなど音楽的エレメントは多岐に渡るが、クラプトンの生涯を通してこの一曲だけはブルースもロックというカテゴライズから脱した極めて無垢で純粋な音楽であり絶対無二の歌の存在感に溢れている。また、これだけ円熟と渋みを兼ね揃えた貫禄のあるロックを作っておきながら、このアルバムリリース時、クラプトンがまだ25歳の若者であったということにも驚かされる。
このアルバムではドミノズのメンバーに加えて、全編に渡ってオールマン・ブラザーズのデュアン・オールマンがスライドギターで参加し、クラプトンと見事なギター・アンサンブルを聴かせた事でも大いに話題になった。デュアンのスライドギターがクラプトンの歌心を引き出し、普遍のラブソングを完成させた。ここでのクラプトンよデュアンの出会いは今までロック史上で数回あった奇跡のひとつとも言えるだあろう。クラプトンはその後、この親友デュアン・オールマンを事故で失い、ドミノスは解散、74年にソロ作"461 Ocean Boulevard"で劇的な復活を遂げるまで、ヘロイン中毒で音楽活動から退いている。