今日は311日、東日本大震災から丸一年が経ちました。


私は震災により甚大な被害を受けた仙台市で生まれ、仙台で卓球を始めました。今日はブログを通じて気持ちをお伝えしたいと思います。


去年の311日、私は中国の広東省で5月に行われる世界選手権に向けて合宿をしていました。その日も普段と同じように練習をしていたら、広東省チームの監督から「日本は大丈夫?地震があったみたいだよ」と言われました。


その時は想像を超える大地震が発生したことも、大津波があったことも、全く分からなかったので練習を続け、滞在先の宿舎に帰ってすぐにテレビをみて、自分の目を疑いました。何度も何度も嘘じゃないか、チャンネルを間違えているのではないかと思い、チャンネルを変え続けましたが、中国のチャンネルも英語のチャンネルも報じていることは同じでした。


大変な事態になっていることが分かり、嘘であって欲しいという気持ちで、母親や母の実家にも電話をして安否の確認をしました。石巻に住んでいる叔母の家の1階部分まで水が来ていましたが、幸い私の親戚の命は無事でした。安否の確認ができてからは、今中国で合宿をしていて良いのか、何か自分にできることはないのか、とても悩みました。


私は中国にいて、仙台の友達や親戚は怖くて辛い思いをしているのに、今ここで卓球をしていて良いのか、何度も自分に問いかけました。


その時、他競技のアスリートの方々のブログにとても励まされました。

『私はアスリートだ。今帰国しても何の役にも立てない。今はその道のプロの方々が懸命に救援活動を行っている。私は日本代表の卓球選手。今はきちんと練習をして、しっかりと結果を残す。そして私たちアスリートがお手伝い出来る時が来たら、そのときは全力でお手伝いしよう』そう思うことが出来ました。当時、日に日に確認されていく被害の甚大さに毎日心が痛かったです。


何も出来ない自分に腹が立って泣いてしまったこともあったけど、そう思うようになってからは、自分に何ができるのか、何が一番役に立つのかということだけを考えて、行動してきました。私はスポーツ選手であり、卓球しか出来ないからこそ、競技を頑張る。今は結果を出せるよう努力して、せめて明るいニュースを届ける。


3月のポーランドの大会が終わり、帰国したらすぐに支援物資を送ること、また大会賞金を全て義援金など支援活動に充てることを考えました。


その後、避難所や小学校、中学校の慰問、復興支援イベントも含めて、何度か仙台を訪れていますが、東北の皆さんは本当に強く、たくましいと感じました。

これほど東北に生まれたことを誇りに思ったことはありません。



当時慰問で訪れた際に、仙台市役所の方が荒浜の海岸沿いの被害状況を説明してくれました。実際に車から降りて、荒浜小学校の校庭だった場所にも立ちました。

楽器など床にたくさん落ちていて、2階の教室には津波で流された車が3台ほど信じられない形で押し込まれていました。私が呆然と立ちすくむ傍では、流されてしまった家の跡地で自分たちの物を探し歩いている方もいました。

その日は避難所、翌日には中学校、荒浜小の生徒が間借りして授業を受けている小学校にも慰問に行かせていただき、卓球のラリーをするなど交流させていただきました。

当時はまだまだ復旧の段階で至るところが震災当時のままのところもあり本当に心が痛みました。


そして昨年10月に復興支援イベントで仙台に帰った時は、街全体が復興に向けて頑張っているのをひしひしと感じることができました。多くの皆さんのご支援で復旧がだいぶ進んだと感じました。


今日で丸1年。


まだ、多くの行方不明の方がおられます。仮設住宅で生活をされている方々も大勢いらっしゃいます。


私たち卓球日本代表チームは公式ユニフォーム、公式ジャージに“WASURENAI 3.11”という黒いワッペンをずっと付けてプレーしています。去年の世界選手権では海外選手も付けてプレーをしてくれました。


これは、震災のあった日に感じたことを忘れない。という復興への決意です。支援活動は継続しないと意味がありません。


今、被災地の皆さんが何を1番求めているのか、ということを常に考えながら、私はこれからも自分に出来る活動を続ようと思っています。


これからは物の復興と同時に、より一層の心の復興が必要になってきます。

頭ではわかっているのに、心がついていかない。

そういう思いをたくさん、たくさん嫌になるほどしていると思います。

これからは、その心が少しでも前向きになれるような、そういうプレーが出来たらと思っています。


私の大きな目標はオリンピックでメダルを獲ることです。

それはただ単に自分のためではなく、仙台にメダルを持って帰りたいからです。

去年慰問させて頂いたときに、世界選手権のミックスダブルスで獲得したメダルを持って帰ったのですが、たくさんの皆さんの首にかけてもらい、本当に喜んで頂くことができました。


その時に私は、『これがオリンピックのメダルだったら、もっと喜んでもらえるだろうな。』と思いました。


だからもっと元気になっていただけるように、明るいニュースを届けられるように、これからも頑張ります。


東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、

被災された皆様が1日も早く、心から笑える日がくることを願っております。


一歩ずつ前へ、歩めますように。