○もうやってられません
「昨年の衆院選で維新は、議席を大きく伸ばしました。しかし、党や議員の実態は大きく違う。もうやってられません。総支部は解散しました」こう話すのは、徳島市議の岡孝治市議会議員(67歳)だ。日本維新の会は、昨年10月の衆議院議員選挙で11議席から41議席へと大躍進した。岡氏は、日本維新の会徳島県総支部(徳島維新の会)の幹事長として昨年の衆院選でも手腕をふるい、吉田知代衆議院議員(徳島1区)の比例復活当選に尽力した。1991年、徳島市議会議員選挙で初当選以降、岡氏は7期連続当選を続け、2006年には市議会議長に就任した。もともとは自民党に所属していたが、たちあがれ日本、太陽の党を経て、2012年11月、石原慎太郎氏と橋下徹氏のトップ会談で合流が決まった維新に籍を置くことになった。岡氏が振り返る。「自民党など既成政党とは違い、なれ合いの政治から決別というのが石原氏や橋下氏の政治姿勢でした。その考えに私も共鳴してやってきた。維新に合流してもそれは変わらないと考えてきました。しかし、実際に私が見た光景は、既成政党とそう変わりがない実態でした。それでもなお、維新の松井一郎大阪市長という強力なリーダーについていこうと頑張ってきたが、もうダメですね」この岡氏が、維新の総支部解散という強硬手段に打って出たのは、昨年の衆議院選挙がきっかけだ。徳島1区は、自民党ベテランで現職の後藤田正純議員と野党系で無所属の元職・仁木博文議員の激突する構図だった。大阪では圧倒的な強さを誇る維新だが、四国では党組織も脆弱だ。そこで岡議員と当選3回の黒田達哉市議が名を連ねる徳島1区に白羽の矢が立ち、維新から吉田氏を擁立する流れになった。「最初に話があったのは、昨年夏くらいですかね。馬場幹事長(当時)や井上英孝衆議院議員から、四国で比例1議席が獲得できるかもしれないから、小選挙区は徳島1区で出馬させるかもしれないという話でした。徳島1区では後藤田氏の度重なるスキャンダルに有権者の怒りが渦巻いていました。維新としては自民党に勝って政権交代しなければならないので、当然、徳島1区では仁木氏を支援すべきとずっと活動してきました。そこで『四国で維新スピリッツを広げるのであれば、小選挙区よりも、比例区の候補を探すべきではないか。しかし党本部からどうしてもというなら、組織である以上仕方がない。ただし、現状では徳島にゆかりが深く、縁のある人でないと惨敗して供託金没収になるリスクもある』という返事をしました」(岡氏)

○徳島に住民票もなく、街宣車もない
しばらく連絡がなかったが、昨年10月、衆議院解散直前に徳島1区の候補が決まったと維新の党本部から告げられた。吉田知代氏。祖父母が徳島出身だというが、兵庫県の丹波篠山市議であり、徳島との縁はいささか薄い。岡氏は抗議したが、党本部の決定には従わざるを得ず、吉田氏の選挙戦をサポートすることになった。「実際に選挙を戦う段になり、吉田氏が徳島にやってきました。しかし、やる気があるのかと、正直、絶句しました。よく党本部はこんな人物を擁立したもんだとあきれた」と岡氏は語る。吉田氏は、徳島1区から出馬するにもかかわらず、住所はなぜか兵庫県内に置いたまま、ビジネスホテル暮らしを続けた。住民票が徳島にないため、選挙事務所も借りられず、選挙の街宣車もなかった。見かねた岡氏は、徳島市内の総支部事務所を選挙事務所とし、日本維新の会の看板をつけた岡氏名義の街宣車を貸すこととした。「『住所も兵庫県のままで、本気で選挙やるつもりあるのか? 』と、吉田氏には聞きましたよ。日本維新の会として出馬するのに、選挙事務所も街宣車もないということでは格好がつきません。党全体の恥になりかねなかった」(岡氏)だが、選挙戦早々、早々にトラブルが勃発した。吉田氏が岡氏の許可がないまま、日本維新の会徳島1区の事務所を総支部に置く登録をした。さらに、借り受けた街宣車を事故の危険性がある使い方をしたという。岡氏は吉田氏と話し合いの場をもった。「街宣車は看板があるため、普通のワンボックスカーより1mほど高くなるのに、扱い方が雑だった。私名義のクルマですから、事故があってはまずいと使用を禁じました」岡氏の吉田氏への疑念は、そんなことには留まらなかった。岡氏が続ける。「もともと吉田氏は、祖父母が徳島の出身ということで選挙にやってきました。私は徳島市の生まれ育ちなので、地縁血縁で維新の支持を広げたいと思いましたので、何度も吉田氏に親戚や祖父母のお墓はどこかと聞きました。しかし、吉田氏は『はあ、あの・・・・・・』というばかり。本当に徳島につながりがあったのかと疑念を持ちました。なんでこんなひどい候補を徳島に送るんやと、党本部にも怒り心頭の気持ちでした」

○「国会議員も地方議員もフラット」の嘘
それでも、岡氏は事務所の使用は認めたうえ、最後まで選挙の支援を続けたという。10月31日、衆議院選挙の投開票当日。徳島1区では早々と、野党系の無所属元職・仁木氏の当確が決まり、落選した自民党の後藤田氏も比例復活を決めた。当初から比例狙いだった吉田氏の結果はどうなったか。維新は全国的に大きく支持を受け、四国比例ブロックで1議席を得た。四国から維新で出馬していたのは、吉田氏を含めて3人。惜敗率トップの1人だけが当選することになったが、日付がかわってから吉田氏が惜敗率1位と判明し、当選が決まった。だが惜敗率は20.1%。吉田氏が獲得したのは2万65票で、1位の仁木氏は9万9千票だったから、ぼろ負けと言える。昨年の衆院選の比例復活当選者では最も低い数字で、歴代の衆院選でも3番目に低い惜敗率での当選だった。吉田氏は、当選後のインタビューで「活動期間が短かった。知名度ということで認知が難しかった」と語った。岡氏が振り返る。「吉田氏の当選を受け、いろいろあったものの、わが党からの当選ということでありがたいとは思った。ところが、当選の後、マスコミの記者から何本も電話が入り、こう言うのです。《吉田氏が「郊外に大規模な商業施設を誘致、公園を作り徳島を発展させたい」と
言っているが、大丈夫か?》徳島1区の中心である徳島市は、JR徳島駅前のビルから百貨店が撤退しています。郊外ではなく、繁華街の再開発事業が最も重視されているのが現実です。それなのに何を言っているのか? 何も徳島のこと知らない吉田氏とはやっていけないと、匙を投げました」今年に入って、岡氏は維新の徳島総支部を解散し、維新も離党することを決めた。岡氏が続ける。「維新は、国会議員も地方議員もフラットな政党であったはずです。しかし吉田氏の擁立劇でわかったのは、国会議員が上から目線で強引に地方議員を抑え込んで、地元の事情も精査せず候補を立てている現実です。背景には、維新の国会議員同士で続く激しい主導権争いがあります。徳島1区がそのダシにされていたのもわかりました。既存政党と同じ、改革の維新スピリッツはどこにも感じなくなった。維新が躍進、支持率アップしているのに総支部解散と疑問に思う声も届きます。しかし、こんなことでは維新に未来はありません」徳島総支部の「解散」という前代未聞の反乱劇は、日本維新の会という政党に、確かな軋みを生じさせている。

2022/3/8(火) 6:02配信現代ビジネス編集部