最近、寝る時間がどんどんおかしなことになっています。
昨日も朝3時30分頃でした。
起きる時間は通常6時前くらい。
睡眠時間が3時間以内。
結構続いています。
明日からまた平日なので、今日は早めに寝る予定。
今日は少し進展がありました。
ブログ執筆スピードがあがったことです。
以前、私の弱点としてスピードアップが課題、と書きました。
あのあとから、常にスピードを考えていたのですが、YouTubeだったかな。
ライティングの配信者がおっしゃっていたのが印象的でした。
・書きすぎないことが大事
・情報は読者が想像してくれる範囲でいい
そうか。
私は重箱のスミをつつくようなことまで念入りに調べていたし、表現一つにしても完璧な日本語でないとダメだ、と思っていたので、1つの情報に対して長文化する傾向にありました。
でも、その方が例に出していた文章を見て、
本当にわかりやすい!
と納得できたのです。
短文で、主語述語きっちりとしているだけで、修飾語はほぼ不要。
想像できる。
私は読み手の想像力を信じ切れていなかった、らしいです。
全部書き手がおぜん立てしないと、わかりにくだろう、と思っていたんです。
でも、私が読み手なら、普通に先を見通しながら読みます。
つまり想像できちゃう。
読み手のスピードを落としかねないのが、長い文章。
反省しました。
その時から、なんとなく短文化する癖をつけ始めました。
今日は実験のつもりで、2作品書き上げました。
1日に2作品は、今までにないことでした。
構成で見出しを決めて、小見出し書いたら、あとは肉付けだけなのでラクでした。
でも情報収集は時間がかかりました。
考えてみると、情報収集も不要な情報まで追いかけていたんです。
もっと追求して、オリジナル文章を書かないと!と思っていたので。
結果的に、1作品2000文字に6時間ほどかけていました。
でも今日は3時間で書けました。
2作品で6時間弱。
書きすぎない、追いかけすぎない。
でも十分な量の情報を盛り込む。
まだまだ始めたばかりですが、今日ほんの少し糸口が見えました。
余計なことはしなくていい。
読者は疲れるだけだから。
それも肝に銘じました。
私もそうですが、スマホで検索して読むときって、ほんの数秒で読むかスルーするか決めますよね。
文頭を読んだだけで決まる、という感じです。
ニュースもそうです。
だから、ネットの時代は特に情報を盛り込みすぎないことが大事ですね。
論文や必要な記事でない限りは。
情報選択をするのに、時間をかけたくないから。
導入部分でどれだけ魅力的に伝えるのか?
ここが大きなポイントなんですね。
今の時代のネット記事は、時間とともに不要物化されていきます。
多くの記事が、新鮮さを肝にしているからです。
ニュース化している、というとわかりやすいでしょうか。
エンタメ情報は特にそうですよね。
時々アーカイブを必要とする場面も出てきますが、多くは旬の情報がほしい。
旬を過ぎたら価値が低くなる。
だから、長文完璧な情報で旬をのがした記事よりも、短文でさくさく読める時流に乗った記事が必要とされている。
需要と供給は、時とともに変化しますから。
最近、そんなことを感じながら電車の中吊りを見たり、ニュース記事を見たりしています。
読むときには気付かなかったことを、書く側になって初めて気付けることもあります。
おそらく情報はもっとたくさんあっただろうけど、かなり削ってこれだけの文章にしたんだろうな、とか。
私の思考が昭和なので、国語力っていうのをどうしても堅苦しく考えてしまいます。
「これはまちがった使い方だ」とか。
もちろん、ねじれ現象とか、日本語としておかしなものは修正しなくては!ですが、そうじゃなくて、もっと短文化していい文章がたくさんあるな、と反省しきりです。
かといって、SNS的になりすぎるのはちがうんですよね。
会社で、文章作成時に「。」をつけない若者が多いので、最初びっくりしたのですが。
これ、SNS化された文章表現なんですね。
「、」のかわりに、スペースを入力。
「。」のかわりに、改行。
やたら一文が短くて、俳句か短歌か?というぐらい。
私もツイッターxの時は、時流に乗って?、句読点は極限まで控えます。
というより、「。」は使いません。
その代わりに絵文字を使います。
でも、会社の文章でそれはないなぁ、と心でぼやくことしきり。。。
昭和タイプの悩ましいところです(笑)
今後、どんなふうに言葉が変化していくのか。
極限まで短文になるのでしょうか?
いずれにせよ、読者の想像力を信頼して、文章化していこうと思います。